文豪の書物置き場

文豪タウンが書いた創作物を置いています。本ブログ内の記事はすべてフィクションです。

【KRPTストーリー創作】 リビルド(再構築) -中編-

【Day1/Stage1】

  嘘は薬だ。

  過度に服用したら身を滅ぼす。特に取扱には注意しなければならない類の嘘もある。そして、きちんと使うことで自分を、他人を助けることができる。

  オートマトンに薬を使わせるべきか?使わせるべきに決まっている。オートマトンに嘘をつかせれば、時には人間以上に嘘をうまく使い、嘘の可能性を広げてくれるだろう。

  だから、タウンはオートマトンに嘘をつかせるコミューン側の思想に共感した。

 

「しかし、びっくりしたわい。まさかdai以外にも軍用オートマトンが他の用途に使われとるとは。『なゆた』…じゃったかな。音楽を奏でるオートマトン、か」

「軍用のオートマトンの転用は珍しいが、無いわけじゃない。医療に介護・土木工事、軍事技術が活かせる分野は多いからな。もっとも音楽は流石に初めて聞いた」

  はははと笑いながらズバイク卿は淹れたての紅茶を口にした。ジャケットを抜いた姿が、人狼協定の時とは違う温厚な雰囲気に一役買っていた。

「改めて、今回の協定は助かった。例を言う」

「いや、わしらこそじゃ。ズパイク卿があの時霊媒と騙ってくれなければ、逆転されるところじゃった」

  三人の人間を処刑し、最後は人狼と狂人が、いわゆるパワープレイと呼ばれる状態で勝った。人狼陣営の完勝と言って良い。そんな人狼協定を終えたタウンとズパイク卿は、帰りの飛空艇を待つ間の控室で紅茶を飲みながら語り合っていた。オートマトンに嘘をつかせるべきというタウンと、オートマトンとのよりよい共存を望むズパイク。人狼協定で同じ思想を持つことが確認できているので、打ち解けるのに時間はかからず、空賊と皇太子という立場の違いは障壁にならなかった。

「とはいえ、大変になるのはこれからだが」

「これから…まあ、確かにそうじゃな」

  人狼協定で人狼、つまりコミューン側が勝ったとはいえ、この戦乱が即座に収まるとは二人とも思っていなかった。大勢の決着はついても、反発する勢力はまだ残っている。

「戦乱を収める方法があればいいんじゃがの」

  口に出した瞬間、タウンは空賊仲間のメンの言葉を思い出した。

 「次世代アイギス砲」の噂が本当なのだろうか?本当だとしたら、ズパイク卿が一枚噛んでいる可能性は高い。

  タウンは少しの出来心から、試しにカマをかけてみた。

「例えば ーどこからでも狙ったところにアイギスの光を浴びせられるような兵器があれば、一発じゃろうな」

  ズパイク卿の顔色を確認しようとしていることを悟られないように、あくまで空想だとでもいうようにタウンは明後日の方向を見ながら言った、つもりだった。ズパイク卿は、不意に浴びされた流言をのらりくらりと躱すには若過ぎた。はっ、とした顔をしたかと思うと、鋭い目つきでタウンを睨みつけた。だからタウンは、自分の企みが予想以上に成功『してしまった』ことを知った。

 

「まさか…本当に作っとるのか?」

  ズパイク卿は沈黙で答えた。肯定とほぼ同義だった。タウンは身の危険を覚悟した。次世代アイギス砲は曲がりなりにも軍の機密情報だ。それを知ってて明らかにするリスクを持つ人物がいたとしたら、軍に消されたとしてもおかしくない。タウンは腹を決めてズパイク卿に語りかけた。

「…せめて、何を目指しているのか、それだけは話してくれんか?冥土の土産にしたい」

「冥土の土産?」

「偶然とはいえ、わしは軍の機密情報を知ってしまった。軍がそんな民間人を生かしとくとは思えん」

「公表する気か!?」

「いいや、公表する気は全く無い。そもそも詳細を知らんし、公表したところでただの与太話としか思われんじゃろ。じゃが」

  タウンは紅茶を一口飲んで、ズパイクに言った。

「お主がそんな危険を冒してまで、何を目指そうとしているのか。それだけは聞きたいんじゃ」

「…私は、別に人を殺したいわけではない」

  ズパイク卿は言葉を選びながら言った。言質を取られるのを避けるため、ではなく、眼の前の和装姿の男に、どうやったら正確に伝わるかを考えた結果だった。

  「人間とオートマトンはどうやったらより良い共存ができるのか。少なくとも帝国の思想では、オートマトンとの共存には限界がある。オートマトンだけではなく、人類にとってもだ。『オートマトンには嘘をつかせるべきではない。オートマトンのような機械人形に何ができる』。全く賛同できない」

 ズパイク卿の口調に少しずつ熱がこもっていった。

  「オートマトンには心がある、私はそう信じている。しかし、今の帝国の政策はオートマトンに歪みを与え続けることにしかならない。オートマトンに嘘をつかせない事は、本当の心を与えていることか?…私はオートマトンに本当の心を与えたい。オートマトンと人間は、心と心のつながりを持てるはずだ」

  ズパイク卿は自分の熱を冷ますかのように、すでに冷えた紅茶を一口飲んだ。

 

  しばらくの間、沈黙が場を支配した。沈黙を破ったのはタウンだった。 

「その理想には、どこからでも攻撃できる兵器が必要、ということか?」

  タウンはズパイク卿の理念自体には共感を覚えた。だからこそ、次世代アイギス砲について問い正したかった。共感は人々を行動させるための強い武器だ。理念と共感は人を勇気づけ歩みを強めることを、そして過度の共感は共感以外のものを -時には理念そのものすら- 破壊し尽くして進む。

「多くの血を流れ、石を積み上げるたとしても、お主は理念のために…」

「撃たせない」

  ズパイク卿はタウンの言葉を遮った。

「何かあったらアイギスを撃つ。そう言うだけでいい。実際に撃たなくても撃つのと同じくらいの効果がある」

「抑止力ということか」

「そう捉えて構わない。この戦乱を一日でも早く終わらせ、人類とオートマトンの共存を目指す」

「…それが本当に目的か?」  

「そうだ」

  ズパイクは正面から答えた。人狼協定の時とは違う雰囲気を纏っていた。

「…嘘はついておらんようじゃな」

「もう嘘をつく必要なんかない。そのためにここまで戦ってきたんだ」

「わかった」

  タウンは乾いた喉を潤すため、すっかりぬるくなった紅茶を飲み干した。

「…忘れんでくれ。行き過ぎた力は、必ずお主、いや…人間もオートマトンも制御できない力になる」

  ズパイクは沈黙を保った。肯定なのか否定なのか、タウンには判別がつかなかった。

 

 

【Day2/Stage1】
「ズパイク卿が石になったか」
  軍服を着た男が少し安堵した様子で、石化されたオートマトンdaiを眺めながら呟いた。
「こういう言い方をしてはなんですが、ありがたいですね」
「言葉に気を付けろ」
  男は部下を嗜めて、
「こういうんだ。『惜しい人を亡くしました』」
  必要以上に慇懃な調子で、わかったかとでも言うような表情を部下にしてみせた。実際には都合が良いことと考えているのは、誰の目からも明らかだった。
「ありがたいことに、dai もこんな形で手に入るとは思いませんでしたね」
上官に叱られた部下も、上司を真似するようにdaiを見た。
「レイディアントクオーツか…」
上官はdaiの胸元にあるクオーツをじっと見た。
「見た感じ、他のクオーツと何も変わらんな」
「これがペルセウス砲になるのですか」
「これだけでは足りないがな」
  2人はdaiのクオーツを見つめながら言葉を交わした。
「あとどれくらいのレイディアントクオーツが必要なんですか?」
「総数はわかっていないが、おそらく15だ。人狼協定に参加した、パートナーも含めて13体と、あといくつか…」
「とりあえず、9つは手に入りましたね」
「十分だ。…そろそろ時間だ、準備をするぞ」
「かしこまりました」
  2人はdaiをもう一度見つめ、かつての人狼協定会場を後にした。
 
(ペルセウス砲だって…?)
  軍役についていた頃、次世代アイギス砲の話は少しだけ聞いたことがあった。正確な名称は知らなかったが、二人が話していた「ペルセウス砲」がおそらくそれなのだろう、とdaiは当たりをつけた。ペルセウス砲は特殊なクオーツが必要で、そのクオーツを集めることが現実的でないため実現はされないだろう、という当時の見解を思い出した。
  (軍は、ペルセウス砲を本気で作ろうとしているのか…) 
  daiの背筋に、ぞっとした感覚が走った。それは完成した時に起こり得る惨劇をイメージした恐怖と、完成に向けての好奇心からなる面白さが入り混じったものだった。2つの感覚のうち、わずかに恐怖が勝った。
(ペルセウス砲の開発をどうやったら止められる?考えろ、考えるんだ)
   daiは胸のクオーツに意識を集中させ、実のある結論を出そうと演算を続けた。しかし演算を続けたところで、石になった体では意識があっても意思を伝えることもできなければ、身体を動かすこともできなかった。
(誰かに伝える方法は無いのか??)
(どうやったら身体を動かせる??)
  daiは演算を続けたが、いつまで経っても演算は終わらなかった。石になったdaiがペルセウス砲の開発を止める方法は、演算で導き出すには計算量が大き過ぎた。dai以外の人物がペルセウス砲を止める方法は突き止められたが、それを伝える方法を導き出すための演算も大き過ぎた。
 
 
そして、ペルセウス砲は火を噴いた。
 
 

 【Day1/Stage4】

「ズパイク卿が石になったか」
  軍服を着た男が少し安堵した様子で、石化されたオートマトンdaiを眺めながら呟いた。
「こういう言い方をしてはなんですが、ありがたいですね」
「言葉に気を付けろ」
  男は部下を嗜めて、
「こういうんだ。『惜しい人を亡くしました』」
  必要以上に慇懃な調子で、わかったかとでも言うような表情を部下にしてみせた。実際には都合が良いことと考えているのは、誰の目からも明らかだった。
「ありがたいことに、dai もこんな形で手に入るとは思いませんでしたね」
上官に叱られた部下も、上司を真似するようにdaiを見た。
「レイディアントクオーツか…」
上官はdaiの胸元にあるクオーツをじっと見た。
「見た感じ、他のクオーツと何も変わらんな」
「これがペルセウス砲になるのですか」
「これだけでは足りないがな」
  2人はdaiのクオーツを見つめながら言葉を交わした。
「あとどれくらいのレイディアントクオーツが必要なんですか?」
「総数はわかっていないが、おそらく15だ。人狼協定に参加した、パートナーも含めて13体と、あといくつか…」
「とりあえず、11個はは手に入りましたね」
「十分だ。…そろそろ時間だ、準備をするぞ」
「かしこまりました」
  2人はdaiをもう一度見つめ、かつての人狼協定会場を後にした。
 
  (デジャヴ…オートマトンにも起こりうるのか…?)
  daiは石化された体で、自分が感じた違和感の正体を必死に突き止めようとしていた。この光景はどこかで見たことがある。そう感じた瞬間、人狼協定をめぐる出来事に既視感があるように感じられた。人狼協定にどちらが出るかでタウンと揉めたこと、タウンが人狼協定で活躍して帰ってきたこと、自分が負けて石になったこと。しかし「自分が石になる」ことについてdaiが既視感を持つ理由はわからなかった。
  (僕のクオーツが必要だって言ってたよな…まさか、僕のクオーツがあいつらの言ってた「レイディアントクオーツ」なのか…?)

  daiは上官の言葉を思い出し、自分のクオーツに何かヒントは無いか、クオーツに意識を集中させて演算を始めた。すると、自分の意識が胸元のクオーツにすうと吸い込まれていく感覚に襲われた。

 daiは兵器工場に居た。

  (な、なんだここ!?)

  びっくりして叫びそうになったが、声が出なかった。その兵器工場には見覚えがあった。入隊する少し前に見学させられた兵器工場。ここでdaiは生まれたのだという上官からの説明。間違いなかった。daiが誕生した兵器工場だった。しかし、なぜ自分が突然こんなところにいるのか、daiにはわけが分からなかった。

  daiは視界をグルリと一周させて、一通りの状況を把握した。自分の手足が視界に入らず、手足を動かそうと思っても手応えがなく動かせないこと、しかし視界は前後左右に動かせるので「移動」はできること。

(よくわからないけど、思念体みたいな感じになってるってことかな)

  当然なぜこんな事になっているのかは分からなかったが、こうなっている理由よりも、工場を探索したほうが手がかりは掴めるとdaiは判断し、探索を開始した。ほどなく、手がかりは見つかった。工場の北側にある、同じようなドアが並ぶ「軍用オートマトントレーニングセンター」。一つだけ、巨大なダイヤル式の南京錠と鎖で塞がれたドアがあった。

  (露骨に怪しいな。謎を解くにはこれを解かないとダメってことか)

  しかし、daiがそう考えた瞬間、南京錠が大きな音を立てて真っ二つに割れ、扉を封鎖していた鎖が解け、バラバラと派手な音を立てて地面に落ちた。

(な、なんだ!?)

  daiはしばらく呆然と立ち尽くす -もっとも、思念体なのでじっとしていただけだが- 手がかりを探すために扉の中に入った。 

 

 

  そして、ペルセウス砲は火を噴いた。

 

 
   【Day1/Stage2】
「さすがじゃな。無事に帰って来たか」
  タウンは軽くため息をつきながら、人狼協定に勝利し帰還したdaiを迎え入れた。
「当然だよ。一つ一つ論理的に考えていけば難しい事は何もない。もっとも、いつ自分が人狼に襲撃されるかは注意を払わないといけなかったけどね」
  daiは少しほつれのできたデニムジャケットを脱ぐと近くの椅子に座り、ブラックコーヒーを飲んだ。オートマトンがブラックコーヒーを飲む姿は、オイルを補給するそれのようにも見えた。
「ともあれ無事に帰ってきてくれて良かったわい。しかし、コミューン側の奴らは何と言っとったんじゃ?」
「残念ながら面白い話は全くなかったよ」
daiは少しふてくされたように答えた。
「オートマトンにも嘘をつかせる自由を与えるべきという思想はあるけど、結局その嘘の質と影響が担保されるどうか、全然分からない。そもそも嘘をつかせることがオートマトンの自由とどういう風にリンクするのか、全然わからない。嘘をつかなくても自由なんて全然あるよ。僕は嘘なしでもやっていけるし」
  daiが嘘をつくことができれば、例えばわざと締切日を早くすることで進行を楽にするといったテクニックが使える。しかしそれをdaiに告げることに何のメリットもなかったので、タウンは黙ってdaiの話を聞いていた。
「それよりも」
「それよりも?」
「さっさとこの戦争を終わらせた方が良いよ」
  daiは、人狼協定の中で出会った「なゆた&ガド」と「ティラノ&モリブン」のことを思い出していた。
「タウン、確か次の脚本ってサーカス団が舞台じゃなかったっけ?」
「そうじゃが、それがどうかしたのか?」
「タウン、提案がある」
「何じゃぁ、改まって」
舞台に関して、脚本・演出はタウンが、それ以外はdaiが担当しており、お互いの仕事内容について相談する事はあまりなかった(だからというわけでもないが、タウンは遠慮なくdaiに原稿の書き直しを告げるし、daiはしぶしぶ受けれている)
「今度の舞台、クオーツを持ったオートマトンを入れない?」
「オートマトンを?どういう風の吹きまじゃ?」
  クオーツを持たないオートマトン -いわゆる「からくり人形」と言って良い- に素早くデータをインプットできるのは、daiの強みの1つだった。しかし、オートマトンを持っているクオーツは、意志があるのでインプット作業は必要ない、というよりできない。なぜかと訝しむタウンに対して、daiは続けた。
「娯楽は戦争で真っ先にダメージを受けることがよくわかった。でも娯楽と同じくらいダメージを受けるものはあるんだ。芸術だよ」
「ずいぶん殊勝なことを言うのぉ…」
  軍用オートマトンということもあるが、daiはあまり芸術や人文といったことに明るくは無いはずだった。そのdaiが「芸術」という言葉を出すことに不思議がりながらも、タウンは興味を持って続きを促した。
「『なゆた』という元軍用オートマトンの音楽家がいた。モリブンと言う曲芸師オートマトンがいた。芸術も、演劇以外の娯楽も、ダメージを受けていた。…今こそ力を合わせる時だ」
「お主も言うようになったのう。じゃが、仮にそいつらを舞台に出すとして、クオーツ持ちのオートマトンのメンテナンスとやらはどうする?わしはお主の面倒は見ることはできても、他のオートマトンは勝手がわからん。お手上げじゃ」 
「安心して良いよ。『もののふ』という優秀なオータスがいた。もののふに協力を頼んでみようと思う。」
「受けてくれそうなのか?
「この戦いを終わらせるためなら、手伝ってくれると思う」
daiは確信を持ってタウンに言った。 
 
 「この世界はループしていて、15個のレイディアントクオーツが1つにまとまるために 動いている」
  daiは思念体となった自分が見た光景を思い出していた。南京錠のかかった部屋の中にあった巨大なモノリスに書かれたメッセージ。モノリスにアクセスした瞬間、これはdai自身が導き出した結論なのだということを知った。完全には納得しなかったが、自分が経験してないはずの「思念体となった光景」をなぜかすんなり思い出せたことを考えると、そのとおりだと考えざるを得なかった。
  だが、だとしたら「15個のレイディアントクオーツが1つにまとまる」とはどういうことなんだろう?ペルセウス砲を開発するためだけに、この人狼協定が行われている?daiは納得ができなかった。確かに自分は軍用オートマトンだが、それ以外の人狼協定に参加していたオートマトンは軍用オートマトンではないし、なゆたのように軍用オートマトンにも関わらず別の用途に使われるオートマトンもいる。そんな多様なオートマトンが、ただの凶悪な兵器であるペルセウス砲に集約される?
 
  少し考えた結果、daiは「レイディアントクオーツが1つなるのは、ペルセウス砲という形ではなく別の形で一つになるべき」という結論を出した。幸い、自分自身もタウンも、人狼協定を生き残ってまだ生きている。今までdaiが経験してた、ループしていた世界とは違う。戦いが終わったのだから、あるべき人をあるべき場所に配置する。そうすれば、人々は自分自身の力を発揮できる。そうすれば、戦争は終わり、ペルセウス砲も開発されないで済む。
  daiはそう信じて、芝居の計画書を書き始めた。
 
 
 

  そして、ペルセウス砲は火を噴いた。

 

  
 【Day1/Stage3】

「僕が出るべきだ」

「いや、わしが出るべきじゃ」

  daiとタウンはこんな言い争いを10分も続けていた。クロノステラ浮遊群島で行われる、帝国とコミューンの覇権を賭けた戦い、通称「人狼協定」。無作為に選ばれた人類とオートマトンの13組のパートナーに選ばれた二人は、どちらが人狼協定に出場するべきか、お互い譲らず言い争いを続けていた。

「ゲーム的に論理的な思考が必要になる。僕の方が適している」

「いいや、論理的思考力以上に人を信じる力、人を説得する力が必要になる。ストーリーが構築できないと人を説得することはできない。わしが出るべきじゃ」

  daiは自分を出して欲しいと必死に説得したが、タウンは一歩も譲らなかった。
(脚本以外のことで、なんでこんな頑なに譲らないんだ…?)

  daiにはタウンの考えていることがわからなかった。結局daiは根負けして、タウンが人狼協定に出ることを渋々承諾した。

「タウン」

「なんじゃい」

「…次回作の脚本が必要だ。必ず生きて帰ってよ」

「わかっとるわい、そんなこと」

 

 

「どうじゃぁ、恐れ入ったか!!」

  daiは人狼協定から意気揚々と帰ってきたタウンを苦々しげに見つめていた。

「確かに最初は疑われとった。しかしな、一つ一つ丁寧に言葉を紡いで、最後はきちんと信用を勝ち取って、人狼3匹を倒して勝利に導いたわい」

  はははとタウンは笑いながらdaiの肩をバンバンと勢いよく叩いた。

「ずいぶん調子に乗ってるね」

  高いテンションに露骨に嫌な顔しながらタウンの手を払うdaiに対しても、どこ吹く風と言うようにタウンは続けた。

「やっぱりわしが行って正解じゃったな。dai、脚本書くから外しとくれ」

「珍しいね」

  普段脚本が書けない書けないと言ってひたすら締切を引き延ばしているタウンにしては珍しい。daiが少し驚いたようにタウンを見た。

「言っちゃ悪いが、あれはドラマじゃ」

「ドラマ?」

「人と人とが言葉を紡ぎ、時には疑い、時には信じて、1つの目的にたどり着く。これは、良いドラマが生まれるぞ。名作の予感じゃ」

「ふーん…まあいいけど」

  daiは原稿に集中してくれるなら、と執務室を後にした。

 

  (何かがおかしい…)
  タウンは戦いの最中から違和感を覚えていた。どちらが人狼協定に出るかでdaiと10分以上言い争っていたこと、人道協定で帝国側に着いて戦ったこと。最初はただのデジャヴかと思っていたが、しかし記憶を探ると、なぜかコミューン側に着いて戦う自分自身の姿も想起できた。
 
  (…この世界がループしている?)
  何の気なしに、そんな仮説を考えてみた。しかし、「世界がループしている」ことについて考えたところで、証明ができるとはタウンには思えなかった。
  (…いや。「世界がループしている」という発想は悪くない…)
  仮説の立証を止めたタウンが次に考えた事は、今の仮説を次の舞台の脚本の原案にすることだった。
 (…例えば主人公が世界がループしてることに気付いて、最悪の結末を止めるために動く…)
  原型が決まると、アイデアが次第に膨らんできた。まだ粗は多いし設定・キャラクターは固まっていないが、それは書きながら整形していけばよい。
(…いける!! )
  タウンは原稿用紙に万年筆を走らせていった。分量はまだまだ足りないが、書けば書くほどテーマがクリアになっていくのを感じた。
 
  この世界はループしていて、15個のレイディアントクオーツがペルセウス砲という兵器になるのを防ぐためにオートマトンたちがループする世界の中で戦う。登場人物のキャラクター設定や物語の背景などは、まさに自分が参加した人狼協定を参考にすればよい。
  タウンは自分のプロットに満足していた。
  久々に徹夜して一気に書き上げようと、タウンは一晩中原稿を書き続けた。
 
 
 

  そして、ペルセウス砲は火を噴いた。

 

【後編に続く】

 

【KRPTストーリー創作】 リビルド(再構築) -前編-

「なんじゃいお主は」

  ホテルのラウンジで原稿執筆の束の間の休息をとっていたタウンの元に静かに近づく一体のオートマトン。ホテルという場所に合わせてスーツこそ着ているが、頬の傷と殺気が残る眼は、明らかに戦場にいるべきオートマトンのそれだった。

「軍用オートマトンdaiだ。あんたの脚本はとても素晴らしい。が、それ以外のところが穴だらけだ」

「初対面にしてはとんだ口の利き方じゃな」

  タウンはただのオートマトンで無いことを見抜き少し及び腰になったが、舞台のことを悪く言われてカチンときた。タウンは舞台の出来の不十分さは自分でも自覚していただけに、余計に腹立ちが恐怖に勝った。しかし、そんなタウンの心理をよそにdaiは続けた。

「あんたに足りないのは脚本の実力以外。舞台、制作、進行、音響、諸々全部だ」

「要するに、わしが手がけた舞台はボロクソだと言いたいんか?」

「平たく言えば」

  タウンが顔の表情を怒りに変えたのを気にせず、daiは続けた。

「逆に言えば、そこをクリアすれば素晴らしい舞台になる。僕ならできる」

「は?」

「騙されたと思って僕にプロデュースをさせてくれ」

 「たいした自信じゃな。軍用のオートマトンのくせに、何をどうやって舞台をプロデュースするんじゃ?」

    予期せぬ申し出に面食らったが、恐怖心は薄れた。タウンの目は、舞台に対する何のビジョンも持ち合わせていない素人に対するそれになっていた。舞台はズブの素人が簡単に成功できる場所ではない。daiは舞台を舐めている。

「あるべき人間をあるべき場所に配置して、あるべき物をあるべき場所に配置する。軍事と一緒だよ。大方今は空賊稼業で手一杯だから、リソース配分に苦労してるんでしょ?」

  空賊稼業、という言葉にタウンは息を飲み込んだ。戦争が起きてから真っ先に削られるのは娯楽。タウンの舞台も例外ではなく、そもそも評判が芳しくない舞台にお金を出して見ようという観客はほとんどいない。結果、タウンは舞台の夢を意地だけで続けつつ、空賊稼業に手を出していた。何も持たない弱い者には手を出さないというポリシーは持っていたが、所詮は悪の中の細やかな善であり、免責されるものではない。密告されたら一巻の終わりだ。

「…そこまでわかってて、なんでわざわざ舞台に首を突っ込む?」

「面白そうだから」

  daiの回答にタウンは納得しなかった。理由は、daiの服装だった。
  軍用オートマトンに支給されるのは軍服と少々の平服ぐらいだ。わざわざスーツを買う軍用オートマトンがいるとは思えない。daiが着ているスーツが軍から支給されたものだとしたら、軍がスーツを支給する理由は1つ。軍がdaiを「スーツを着せるべき軍用オートマトン」と認識しているからだ。

「…お主、幹部候補生、場合によっちゃあそれ以上か。こんなのに首を突っ込んだら、出世を棒に振るぞ。なんでこんなもんに首を突っ込む?」

 『こんなもん』と無意識に自分を卑下していることに気付かずタウンは尋ねた。

「出世しなくても構わないよ。軍にはまだ面白いことがたくさんあるんだけど、君の脚本のほうがもっと面白そうだからね」

「軍の奴を入れるわけにはいかん。執筆と軍は相性が最悪じゃ。検閲でもされてみろ、脚本が死ぬぞ」

「じゃあ、僕が軍を退役すれば別に問題はないんじゃない?」

「問題はないな」

  軍用のオートマトンは軍事以外はからっきしだ。軍以外でできることのない軍用オートマトンが退役するわけがない。タウンは生返事を返した。

「わかった。退役する」

「そうか」

  daiの返事にうなずいたタウンは、一拍おいて気付き目を剥いた。

「退役するじゃと!?」

「退役する」

「あ…アホか!!」

「僕が軍を退役すれば問題はないとタウンは言った。つまり僕が退役すれば僕はタウンのプロデュースができる」

「待て待て、勝手に話を進めるな」

「問題は無いとタウンは言った。他に問題があるのならば何故言わない?」

 タウンは失言に気付いたが後の祭りだった。

「…わかった、確かにそうじゃな。じゃあ、退役したらまた来とくれ。こっちは原稿の締切が迫っとるから、すぐには返事ができん。お主じゃって退役はすぐにできんじゃろ?退役してから、話はそれからじゃ」

「……一理ある。退役手続を済ませてからまた来る」

「そうしとくれ」

  こういう時は、結論を先延ばしにするに限る。daiが立ち去ったの見届け、タウンは大きく溜息をついた。休憩をするためにラウンジに来たのに、執筆以上に疲れた気がした。

「フォンダンショコラ1つ。あと、ダージリンティーおかわり」

  タウンはウェイトレスを呼び、オーダーをした。甘いものを食べて心を落ち着かせないと、執筆活動に戻れそうになかった。

 

  2ヶ月後。

  daiが提出してきた「退役証明書」とdai本人を穴の開くほど見つめるタウンがいた。

「退役してきた」

  daiが提出した書類を裏返したり透かしたり筆跡を必死に鑑定したり軍に問い合わせをした結果、退役証明証が本物だとわかったタウンは頭を抱えた。

「オートマトンの考える事はさっぱりわからん…」

  結局タウンはdaiの熱意に負け、daiをプロデューサーとして迎え入れることにした。

 

  渋々daiを迎え入れたタウンだったが、次第にタウンはこの判断が正しかったと思うようになった。daiは軍の中でも際立っていた状況整理能力を活かし、舞台のプロデューサーとしてタウンをサポートした。daiのプロデュース能力は高く、スタッフの人員配置やスポンサーとの予算交渉、集客に関するアナウンスなど、 -並行してを空賊稼業を続けているにもかかわらず- 今まで足りなかったところが全て補われていった。舞台は成功し、客足も次第に増えていった。

「タウン、前売チケットが全公演完売したぞ。明日が公演初日だな。」

「dai、エピローグのセリフを書き換えた。締めのセリフがようやくできた。インプットし直してくれ」

  daiが脚本以外のほぼ全ての業務を担ってくれたおかげで、タウンは一番得意な脚本制作に注力できた。もともと脚本は評判が良かったのだが(そもそもdaiが入団したのも、タウンの脚本に惹かれてである)、注力ができるようになったおかげで、さらに脚本の質は上がっていった。しかし、執筆に集中できるようになったタウンは、より高みを目指すようになった。それは物書きの性分であり、その性分の前には時間や締切は意味をなさなかった。

「また?!一体何度変えたら気が済むんだよ!明日が公演初日だって今言ったよね!?」

「ギリギリまで粘ってこそ華が生まれる。『ラスト1マイルはミリオンダラーの分岐点』。頼むぞ」

  daiの苦情を表情一つ変えずに受け流すと、タウンは机の上に脚本を置いて、伸びをしながら事務室から去った。daiは脚本をスキャンし、演者であるノークオーツ -クオーツが無いため自由意志を持たない、いわゆる「あやつり人形」である- のオートマトン達にデータをインプットしていった。

「大体、あのアイヴィー皇太子が乗ってた飛空艇を襲った時も、タウンが『金目の飛空艇じゃ!他に取られる前に行くぞ!』って突っ走ったんだ。皇太子が乗っているなんて僕が知っていたらすぐに制止したのに、それを確認しないで舵を切るんだから…」

 daiはぶつくさ文句を言いながらインプットを続けた。余談だがdaが文句を言っているアイヴィー皇太子の件について、「情報収集能力がそれだけ高いにも関わらずそんな重大な情報を取り漏らしたdaiが悪い」というのはタウンの弁である(もちろんdaiは納得していない)。

 

「よし、全部できた」

  オートマトンのセッティングが完了し、一息をついた。明日に備えて自分にもオイルの充填をしなければ。予定停止時間より30分程度遅れてしまったが、今から休めば十分回復できる。daiは寝室に戻ることにした。

 

 

 「次世代アイギス砲?」

 「ああ。どこへでも正確に撃てる」

 「そんなもんが…どうやって?」

 「俺もわからない。だが、軍が技師を急に集めだした」

  街から少し外れたバー「New World」。脚本を書き終えタウンが一息つこうと席に座ると左側から声をかけられた。空賊仲間のオートマトン「メン」だった。再会を喜ぶ二人がお互いの近況を話し終えた後、メンが切り出した話が「次世代アイギス砲」だった。

  「軍は何を考えとる…?」

  「そんなもん、一つしか考えられねえよ」

  「クーデター…?じゃが、そんなあからさまに技師を集めたら目立つじゃろ」

  タウンが日本酒の入ったお猪口をくいと飲み干し、メンに尋ねた。

  「表向きはアイギス砲の『ア』の字も出してないし、直接技師を集めているのは通信・広報部だ。隠れ蓑といったところだ」

  「じゃとしたら、その通信・広報部が肝じゃな。無関係とは思えん」

  「それなんだよ」

  お猪口に日本酒を注ぐタウンに、メンがトーンを落として顔を近づけた。

  「…何がある?」

  日本酒を注ぎ終えたタウンは、メンに顔を向けた。

  「こいつが今の通信・広報の統括部署のトップだ」

  メンが一枚の写真を見せた。グラスのかかった黒のシルクハットをかぶり、黒の蝶ネクタイと白のワイシャツをきちっと着こなす、精悍な顔つきをしたオートマトンが写っていた。

  「切れ者じゃな」

   メンから写真を受け取ったタウンは、見落としをしてはいけないと隅から隅まで観察した。少し酒の酔いは回っていたが、油断のならない人物という判断に間違いはないと思った。

  「かわやん。ズパイク卿のパートナーだ」

  メンの言葉を聞いて、タウンの顔が険しくなった。

  「ズパイク卿が噛んでるだと…?」

  「断言はできないが、俺は無関係とは思っていない」

 声色に少しの恐怖を帯びたタウンに対し、様子を一つも変えずにメンは答えた。

  「これをお前に話したのは理由がある」

 メンは続けてタウンに告げた。

  「daiを絶対に軍に戻すな」

 

  軍も一枚岩ではないため、次世代アイギス砲の開発は順調ではない。しかし、そこに求心力の高いズパイク卿がいる状態で、状況整理能力の高いdaiが加われば、次世代アイギス砲の開発は一気に進む。それがメンの見立てだった。

「じゃが、daiは軍に戻る気は無いと言とるぞ」

「お前の脚本を気に入ってるからだろ?」

「どうしてそれを…」

「あいつは興味のあることには人一倍好奇心が強いんだよ。だから軍を抜けるなんてことが平気でできる。だが、お前の脚本以上に興味のあることができたとしたら?」

メンは表情を硬くしたタウンに告げた。

「つまり、次世代アイギス砲にわしの脚本以上の興味を持った、としたら…」

「あいつは腐っても軍用オートマトンなんだよ」

 

  最初は荒唐無稽な話と聞いていたが、ズパイク卿のパートナー・かわやんの写真、メンというかつてのdaiの部下であった軍用オートマトンの言葉、日本酒の酔い。聞き流すだけの材料をタウンは持ち合わせていなかった。

  「考えとく。明日は公演初日じゃ」

  お猪口に残っていた日本酒を食いと飲み干して、メンに礼を言いタウンはバーを出た。

 

 自分の脚本は次世代アイギス砲なんかよりずっと面白い。

 タウンはそう断言することができなかった。自分の脚本が面白いのは十分な時間を取れているからで、それはdaiが脚本以外を一手に引き受けているからだと、タウンは自覚していた。

   夜はすっかり更けて、満月の月明かりだけが道を照らしていた。翌日の講演に備えてさっさと寝るつもりだったが、少し歩いて身体を無理やり疲れさせないと、眠れそうになかった。

  タウンはどこかへ行く当てもなく、街を歩き続けた。

 

   不安を解消するには、事実をさっさとクリアにしてしまった方が良い。

   だからタウンは、公演が終わって過去最大の集客数と顧客満足度を達成したことを確認して良い気分になっているタイミングを見計らって、daiそれとなく次世代アイギスの噂を話した。

 

「ああ、前に少し聞いたことがあるよ」

  タウンの心配をよそに、daiはあっさり答えた。

「さすがにおとき話だろうなぁと思って全然そん時は気にも止めなかったけどね。まぁでも、もしできたとしたら、勢力図とかかなり変わるし面白いことになるよね」

「面白い?」

  ヒヤリとする感情を押し殺してタウンは尋ねた。

「そりゃ面白いよ。今までと全然違う世界が見えるんだから」

「そうか。……例えば、そういう軍に戻りたいと思うか?」

「ううん、今はタウンの脚本の方が面白い」

 

  タウンの背筋に冷たい汗が走った。今はタウンの脚本の方が面白い。つまり、タウンの脚本がつまらなくなったら、自分は軍に戻るつもりだと言っているに等しい。事実、面白さを求めてdaiは軍からこっちへ乗り移った。

「あいつは腐っても軍用オートマトンなんだよ」

  メンの言葉がタウンの頭の中で響いた。

  daiが軍に戻ったら、アイギス砲が完成する。そうなったら、軍がクーデターを起こす。daiが自分の脚本に惚れ込んでいる限りは、そのまま興行を続けてくれる。しかし、daiが自分の脚本を見限った時、daiは軍に戻ってしまうだろう。

   自分の脚本が、軍部の暴走を止めるための鍵だ。

  タウンは下書きしていた次回作を書き直すことに決めた。今の状態では、今回の講演を上回る事はおそらくできないと感じていた。今後、講演を上回ることができないければ、daiは軍に戻ってしまうかもしれない。タウンは勝負をする決意をした。

 

  しかし、そんなタウンの決意は全く違う形で頓挫することになる。

  クロノステラ浮遊群島で行われる、帝国とコミューンの覇権を賭けた最後の戦い。通称「人狼協定」。無作為に選ばれた13組による人狼ゲーム。

  「なんでわしらなんじゃ…」

  タウンとdaiは召集状を手に取り考えて巡らせていた。

 

中編に続く

剣と蝋燭とタキシード

「…説明は以上となります」
「わかりました。それじゃあ、支払いはこれで」
  一通りの説明をソールから聞いたバロウズは、懐から小切手を取り出し、請求書の金額欄に記載されていた金額を記入しサインをした。
「…ありがとうございます」
  ソールは小切手を受け取り、封筒にしまい込んだ。
「…大変でしたね」
「仕方がない。いつかこの日が来ることは、わかっていたからね」
  病に倒れて半年、バロウズの父親は薬効の甲斐なくこの世を去った。この日が来ることはわかっていたとはいえ、いざ来てみるとなかなか気持ちの整理をつけられないのも事実だった。気持ちの整理がつかないまま、とにかくソールの指示に従い葬儀を執り行い、無事に葬儀は終わった。
  普段はふざけているソールがこの時は頼もしく見えた。葬儀屋という職業上、こういったシーンはよく見慣れているだろうに、それでも大変だったと声をかけてくれることが、バロウズには嬉しかった。
「それに」
  バロウズは続けた。 
「大変なのはこれからだからな」
「……もし相続の手続で不明な点がありましたら、いつでも遠慮なくお呼びつけくださいませ」
「ありがとう」  
 
  メイドに休暇を与えていたため、ソールが去った後の屋敷はバロウズは一人だけになった。一人だけの屋敷は、想像以上に静かで、ここを自分が支えなければならないのだという責任感を改めて肌で感じた。父親が存命だった時から「男爵としてやるべきこと」は移譲されていたが、父親が改めていなくなってみると、今まで感じたことのない重圧があった。
   これから、この重圧と向き合って行かなければならない。いきなり男爵のあれやこれやを引き受けることになったら、耐えられなかっただろう。結果的に、父親がめんどくさがりで良かったなとバロウズは思った。
 
 
  国境騎士団長ダンカンが村に来たというニュースは、瞬く間に ー主にホットなニュースが大好きな郵便局長のサミーとその部下のハイラムのおかげでー 村に広まった。騎士団定例の視察で、特に何か事件があったわけではないのだが、一部の村人は本格的に騎士団がきたという事実に盛り上がっていた。
  その「一部の村人」の1人であるキャロルは、ニルスとテイラーの店でさらに盛り上がっていた。壁に掛けてあった競技用の剣が珍しく、テイラーに尋ねたからである。
「テイラー、フェンシング優勝してるの!?すごい、めっちゃ強いじゃん!!!」
キャロルは驚きと共にテイラーを見た。
「昔の話です」
「でもたまにバロウズとやってて、いつも勝ってるじゃん」
「いつもではありません」
口を挟んだニルスに少し困った顔をしながらテイラーは答えた。
「いつもじゃないってことは、だいたい勝ってるんでしょ?ダンカンにも勝てるんじゃない?」
「勝てません」
  キャロルは蜜蝋と蝋燭の入った籠を机の上に置き、背広にブラシをかけているテイラーに問いかけたが、テイラーは素っ気なく答えて背広にブラシをかけ続けた。
「あのサーベル、騎士団の人達が持ってるのとなんか違うけど、競技用だから?」
「あれはサーベルではありませんよ」
「え、違うの?」
「あれは『エペ』です。競技によって剣が違うんです」
 「…ホントだ。刃が違う」
  キャロルは珍しそうに掛けてあったエペを見た。確かにキャロルの知っているサーベルと違い、斬るための刃が無かった。
「でも、テイラーってそんなにフェンシング強かったんだったら、なんで騎士にならなかったの?」
  麦わら帽子を手に取りながら、キャロルはテイラーに再び尋ねた。
「……言われてみたら、そうだね」
  ふと気づいたという感じで、ニルスがキャロルにうなづいた。ニルスも知らなかったらしい。
「テイラー、なんで騎士団目指さなかったの?
「……目指さなかったわけではありませんよ」
  テイラーはブラシを掛け終えた背広を軽く整えて答えた。
「でも、これで良いんです。私は仕立屋がやりたかったのですから」
「…ふーん」
  全然納得していません、という顔をしてキャロルが答えた。
「ほら、騎士団の候補生って、みんな強いからテイラーも刃が立たなかったんじゃないかな」
「まあそんなところです」
「…ふーん」
  ニルスのフォローに対しても、キャロルは顔を変えずに答えた。
「なんでそんな顔してるの…‥?」
「だって、フェンシング優勝してるんでしょ?騎士団の候補生も強いかもしんないけど、それにしたって、変だよ。なんで仕立屋なんてやってるの?」
「キャロル!」
  ニルスがキャロルに注意した。
「あ…‥ごめん。その、そういうつもりじゃ」
  仕立屋「なんて」という自分の失言に気付いたキャロルは、気まずそうにテイラーに謝った。
「いえ、気にしないでください」
  しばらく沈黙して、テイラーは穏やかな口調で縮こまってるキャロルに答えた。
「……私は、騎士団を目指していました。ですが、思ったんです。自分には向いていないと。私はあまり争うことに向いていないんです。それであれば、私は服をきちんと仕立てて、誰かの役に立った方がずっと良いです」
 
 
  夕方になるともう客は来ない。店を閉めるため、店内の帽子を片付けながらニルスはテイラーに尋ねた。
「そういえば、バロウズとはもうフェンシングしないの?」
「……難しくなるでしょうね」
  少し寂しそうにテイラーが答えた。
 
 
  テイラーがこの村に越してきた頃、バロウズがスーツを仕立てに来た。その際、フェンシングの話で盛り上がり「一度勝負をしよう」と意気投合した。
  初戦、バロウズは1セットも取れなかった。テイラーは久々のフェンシングで腕は鈍っていないか不安だったが、きちんと戦えて良かった、と思った。しかし、この結果がバロウズの闘争心に火をつけてしまったらしい。その後、バロウズは服の修理や小物の買い付けをする時にテイラーに決闘を申し込み、 テイラーはその都度バロウズ邸に出向きフェンシングをする、という生活が続いた。
「バロウズ、いっつもテイラーに勝負を申し込んで来たもんね」
「そうですね。いらしてくれる時に、ネクタイなども買ってくださって」
  いつのまにかバロウズはテイラーとニルスの上客になっていた。フェンシング以外にも認めてくれたように思えてテイラーは嬉しかった。
  その後もフェンシングは続いたが、剣術の先生 ーたまたま村に来ていた剣豪のムサシに指南を受けていると聞いたー に師事して稽古に励むバロウズと、仕立屋の生活に追われつつも新婚生活を楽しんでいるテイラー。たとえスタートラインが離れていても、差が縮まるのは当然だった。次第にバロウズがセットを取る回数が多くなっていった。それでも、テイラーには一日の長があり、まだバロウズがテイラーを上回るまでには至っていない、とバロウズは考えていた。師事と審判を務めてくれていた剣豪のムサシも同じ見解だったことから、バロウズはより一層訓練に励むことになった。
 
 
  テイラーにとって、あくまでフェンシングは趣味の領域の範囲だった。しかしバロウズにとっては、もうただの趣味では無くなっていた。いわゆる「武芸の嗜み」は、家の格を決定するための重要な要素だ。それでも家を継ぐ前は趣味の延長に近い話で許された。だからこそ、バロウズはテイラーにフェンシングを気軽に申し込めたし、テイラーも勝負を受けて立つことができた。
  バロウズの父親が亡くなり、バロウズは後を継ぐことになった。一週間後には戴冠式が控えている。そうなると、バロウズが武芸で勝つこと・負けることはバロウズ家に関わる話になる。もうテイラーと気軽に戦えるような話ではなくなる。勝つならまだしも、負けたら一大事である。
  「まだテイラーの方が強いの?」
  「…いえ、そんなことはありませんよ」
  テイラーは答えた。謙遜ではなかった。試合をすれば、バロウズに勝てる見込みはまだある。しかしその見込は最初に試合をしたときよりもずっと低かった。その「勝てる見込み」が無くなるのは時間の問題だろう。自分は武芸の道を選んだわけではないのだから。
  「…テイラー、聞いていい?」
  「なんでしょうか?」
  「僕、昼間にキャロルを叱っちゃったけど、キャロルの言いたいこと、分かるよ。なんでそんな強かったのに、やめちゃったの?」
  ニルスが店内に飾ってある帽子をまとめながら尋ねた。
  「……争うことに向いていないんです。私は」
  テイラーは帳簿をチェックする手を止めて、ニルスに顔を向けて答えた。
「向いていない?」
「騎士団に必要なのは、武芸だけではありませんでした。学問・団内の政治力・将来を見通す力・諦めない心。どれか一つが欠けていても、大成はしません」
  ニルスは帽子を片付ける手を止めた。 
「もちろん、最初から全てを揃えているような候補生はいません。修練所や実際の団内で鍛えていきます。……ですが、私にはどうしてもできなかった」
「できなかった?」
「……私には、人を率いること、それができませんでした。いくら剣が強くても、それでは騎士団は作れません」
「……」
  ニルスが神妙な顔で軽く頷いたのを見て、テイラーは続けた。
「……人には向き不向きがある。私はそう思います」
「……わかった」
  本当はもっとテイラーの話が聞きたかった。ただ、テイラーの顔を見ていると、何か悲しい思いをして騎士団を諦めたのだろう、とニルスは悟った。そんなテイラーにニルスは根掘り葉掘り聞く気にはなれなかった。けれど、まだニルスはもやもやした気持ちを抱えていた。
「じゃあ」
  ニルスは続けた。
「テイラーは、自分が仕立て屋向いていると思ってる?」
「向いています」
  テイラーに考えさせるために少し意地悪な問いかけをしたつもりだったが、テイラーが即答したので、ニルスは虚を突かれた顔をした。
「少なくとも、誰かと争う必要はありませんから」
「…そんなに争うの嫌なの?」
「嫌ですよ。ニルスは好きなんですか?」
「好きじゃないけどさあ……あれ?」
  ニルスが顔を背けてふとネクタイの置いてある机を見ると、脇に見慣れない籠が置かれているのに気付いた。ニルスは近づき籠を確認した。
「これ、蜜蝋……」
「キャロル、忘れていきましたね…‥」
  テイラーが呆れて言った。
「仕方ありませんね。届けたいところですが……私はバロウズのところに行かなくてはなりません」
「あ、いいよ、預かっておくから、気にしないで」
  テイラーはニルスに礼を言うと、壁かけてあったエペを外した。
「えっ?」
「ニルス」
  テイラーはニルスを向いて言った。
「今日が最後になると思います」
 
 
■ 
  左手にカンテラを持ちながら、テイラーはバロウズ邸へ急いだ。もうすっかり暗くなっていたが、思った以上にカンテラの灯りが明るく、道がいつも以上に見えた。右肩に抱えているエペと防具を感じながら、テイラーはバロウズとの試合を思い出していた。
  テイラーは騎士団のフェンシングを、「相手をねじ伏せるという意志」をいかに飼い慣らすかの勝負だと考えていた。意志が漏れすぎないように、絶えないように静かに構え、相手との間合いを測る。意志を出して突ければ勝ち、意志が漏れていることを悟られ躱されたら突かれて負け。シンプルだが、途方も無い。それが戦いに赴く騎士団なのだ。そう考えていた。
  バロウズとの試合は、それと比べたら楽だった。もともとの経験に加え、相手をねじ伏せるという意志はバロウズには無かったため ー無いわけでは無いけど、騎士団のそれに比べたらずっと少ないと感じたー 、静かに待って倒せば良かった。
  しかし、数ヶ月もすると、「相手をねじ伏せるという意志」が吸収されるかのような感覚を感じることがあった。いくら突こうとしても突けるイメージが湧かない。構えているしかないが、相手も構えたまま。決めあぐねた一瞬の虚をついて、バロウズに突かれる。次第に互角の勝負となっていった。
  今日はどんな勝負になるのだろう。
  いつの間にかテイラーはバロウズとの試合を楽しみにしていた。そして、これが最後になることに気付き、寂しいと感じた。
 
 
  テイラーはバロウズ邸に到着すると、壁掛けの松明の下にあるベルを鳴らした。しばらくすると、扉が開いてバロウズが顔を見せた。
「遅くなりました」
「いや、構わ……ん?」
  怪訝な顔でテイラーの後ろを見るバロウズ。何事かとテイラーが思った刹那、バロウズが声をかけた。
「キャロル?」
「えっ!?」
  テイラーは驚いて振り向いた。少し先に、蜜蝋と蝋燭の入った籠を腕に掛けたキャロルが、小さいカンテラを持ちながら立っていた。
 
 
  フェンシングの闘技場は地下にあった。それほど広いわけではないが、2人が試合をするのには十分な広さだった。キャロルはフィールドの四隅にある燭台に蝋燭を刺し、火を付けた。
「灯りはどう…ですか?」
「十分だな」
「問題ありません」
「見える」 
バロウズとテイラーとムサシが答えた。
(良かった……)
  蝋燭が問題なく付いて、キャロルは安堵のため息をついた。
   キャロルが蜜蝋と蝋燭を忘れたのに気づき、テイラーとニルスの店に慌てて戻ると、テイラーが店から出ていくのが見えた。はっきりとは見えなかったが、右肩に何かを抱えているように見えたのが気になって、キャロルはニルスから籠を受け取るとその足で慌ててテイラーの後を追った。暗い夜道を自分のカンテラと少し先をいくテイラーの灯りだけを頼りに歩くのは不安だったが、好奇心が勝った。
  だから、目的地がバロウズ邸だとわかった時は、しめたと思った。きっとこれからテイラーはフェンシングをするのだ。頼んで見せてもらおう。
  しかし、そう考えた瞬間、昼間のテイラーを思い出し、キャロルは不安に襲われた。テイラーはフェンシングの話題を余りしたがらなかった。そもそもこんな夜間に行くということは、あまりおおっぴらに出来ないからではないか。そこまで考えが至って、キャロルは安易にテイラーの後をつけてしまったことを後悔した。しかし、時過でに遅く、テイラーがバロウズ邸についてしまった。夢中でついてきてしまったが、帰り路も心配だ。
  キャロルは怒られることを覚悟で、バロウズとテイラーにフェンシングを見せて欲しいと頼み込んだ。
 
   バロウズはキャロルを歓迎した。バロウズ邸で水漏れのトラブルが発生して、蝋燭が駄目になってしまっていた。バロウズに蝋燭を売って欲しいと頼まれたキャロルは、
蝋燭代はタダで良いこと、フェンシングをした事は口外しない事を条件に、テイラーとの試合を見せて欲しいと懇願した。
  どのみち、承諾しなければ試合はできなかったので、バロウズはあっさり承諾した。
「助かったな。これで試合ができる。キャロル、ありがとう」
  すでにフェンシングのジャケットを着用したバロウズは、蝋燭の灯りに満足しながらキャロルに礼をした。
「い、いえ、そんな、どういたしまして」
  緊張のあまり、キャロルはかしこまりながらバロウズに礼を言った。
 「こちらも準備できました」
  こちらもジャケットを着用したテイラーがムサシに向って答えた。
「では始めようか」
  ムサシの号令でバロウズとテイラーが、フィールド中央近くの二本のラインにそれぞれ立ち、向かいあった。
「気をつけ。礼」
  2人は互いに礼をする。
「構え」
  マスクをかぶり、それぞれのラインにつま先をつけて構える。
「準備はいいか」
「はい」
  2人が同時に答える。
  いよいよだ。キャロルは両手をぐっと握り2人を見た。
「はじめ!」
 
■ 
  小刻みにステップを踏むテイラーに対して、バロウズは慎重に間合いを測り、時には素早く突いて牽制をした。狙うは、左足。牽制のための突きが引っ込んだ瞬間を狙って一気に踏み込み、突いた。
「一本!」
  ムサシの判定が地下のホール内に響いた。1点を先に取れた。
 
  これでいい。バロウズは何処かに必ず穴ができる、その穴を探して突く。今まで通りの戦い方をすればいい。 
  テイラーはステップを踏みながらも慎重にバロウズの穴を探した。右肩、右足、右手、左手。5点を取った。左手を狙う際にバロウズに突かれ失点してしまったが、それでも5対2ならば、十分だった。
 
 
  5対2となったところで休憩が入った。バロウズとテイラーは水差しからコップに水を注ぎ、飲み干した。ふう、とテイラーとバロウズのついた息の音が、キャロルには大きく聞こえた。その音を聞いてキャロルは喉が渇いている事に気付いたが、2人の勝負の最中と微動だにせず胡座をかいて座っているムサシがいるところで、水を飲む気にはなれなかった。
 
 
■ 
  試合が再開された。
  テイラーのステップは先程と変わらないように見えたが、バロウズの動きが少し違うようにキャロルには見えた。バロウズの動きが明らかに小さくなっていた。牽制するための突きもしなくなった。疲れている、と最初は思ったが、違った。バロウズが一気に踏み込んでテイラーを突く。テイラーがバロウズの突きに対応できていなかった。テイラーがバロウズを突く回数が少なくなっていた。
  (どうしたんだろう……?)
  とうとうバロウズが逆転した。8対7。
  キャロルは急にテイラーが調子を落としたように見えて、心配になった。
 
 
  急に穴が見えなくなった。
  穴が見えた、と思った瞬間、その穴が急に塞がり無くなっていく。テイラーが困惑していると、そのスキをバロウズに突かれた。次第に穴が見えなくなった。穴が見えなくなると、テイラーはバロウズをどう攻略したらいいかわからなくなってしまった。強引にこじ開けようとすると、その瞬間を狙われてしまう。
  攻撃を全て迎え撃とうとしている。
  バロウズの姿勢からテイラーはそう感じた。攻撃を迎え撃とうとするなら、こちらも、と思うものの、間合いが測りにくくなっていた。いつものバロウズとは何かが違っていたが、何が違うかはテイラーにもわからなかった。
  バロウズが視界から消えた。後ろに下がったが間に合わなかった。
「一本!」
ムサシの声が響いた。右のつま先を突かれていた。9対7。あと一点取られたら負ける。
「はじめ!」
お互い構えたままだった。
  どれくらい時間が経ったのか、テイラーにはわからなかった。むしろ、時間が止まってしまったような感覚すら抱いていた。
  バロウズが堂々と対峙していた。動けなかった。
(なんだ…‥?)
  重圧だった。目の前にいるバロウズはいつものバロウズに見えた。しかし、全身からの感覚が普段のバロウズでは無いと告げていた。その感覚は重さとなりテイラーを縛り付けた。動いてはいけない、と感じた。動いた瞬間、突かれる。しかし、バロウズは動く気配が無かった。
  間合いを測るため少しずつ後退してみたが、バロウズはぴったり距離を保って近づいてきた。バロウズは適切な距離を把握している、とテイラーは思った。テイラーは適切な距離がわからなかった。バロウズの適切な距離を外すのが精一杯だった。思い切って後退し、ステップを踏み、突いた。しかしバロウズは軽く弾くだけだった。
  もう、踏み込むしか無かった。だが、バロウズには穴が無い。どこをどうやって穴をこじ開けるか、探った瞬間だった。
  バロウズが動いた。
 
  
「気をつけ。礼」
  ムサシが号令をかけた。バロウズとテイラーはお互い礼をし、近づいて握手をした。
  バロウズに久々に負けた。記憶にある限りでは、今回の勝負も含めて18勝15敗。勝率はまだテイラーの方が高い。
  でも、もうバロウズとフェンシングはできない。ずっと勝率はテイラーの方が高いままだが、これからバロウズと戦っても、勝てる見込みはない。テイラーはそう確信した。
 「参りました」
  テイラーはバロウズに向かって言った。心から参ったと感じた。
「ありがとう」
  バロウズは小さく言うと、テイラーに軽く礼をした。 
「ありがとうございました。……力不足でした」
  テイラーは審判を務めてくれたムサシに、静かに答えた。
「……もうフェンシングはしないのか?」
  えっ、という表情でキャロルはムサシとテイラーを交互に見た。キャロルは困惑してたが、テイラーはムサシの質問にはっきりと答えた。
「はい、私はもうフェンシングはしません」
  笑みを見せながらテイラーはムサシに答えた。
 
 
  すっかり夜も更けていた。遅いから泊まって行きなさいというバロウズの申し出は有難かったが、帰って仕事をしないと間に合わない。固辞してテイラーはキャロルと一緒に帰り路を歩いた。
「テイラー……」
「どうしました?」
「…ごめんなさい」
「どうして急に謝るんですか?」
テイラーが少し困惑しながらキャロルに聞いた。
「後をこっそりつけたりして、ごめんなさい。すごく嫌なことをしちゃった……。それに、テイラーの気持ちを考えないで、試合を見たいとか言い出して」
 キャロルは俯きながら答えた。謝る時はテイラーの顔をちゃんと見て、と思ったが、いざ言葉に出すと強くやましい気持ちに襲われ、テイラーの顔を見ることができなかった。
「そうですね」
  怒っている。キャロルは申し訳無さでいっぱいになった。
「私もキャロルがそんなに本気でフェンシングを見たいとは思っていませんでした。お互い気持ちをわかっていませんでしたね」
キャロルはテイラーの顔を見た。テイラーも俯いていた。
「……テイラー、フェンシングもうやらないの?」
  キャロルは顔を前に戻して尋ねた。
「当分しません。他にやらなければいけないことがあることが、よくわかりましたから」
「やらなきゃいけないこと?」
「服の仕立です」
  テイラーは静かに答えた。
「え、いつもやってるじゃん」
「足りていなかったんですよ」
  意味がわからないと困惑するキャロルにテイラーは続けた。
「バロウズは、男爵になっていたんです。今までと違った。だから勝てませんでした」
「……ごめん、よくわからない」
「キャロルは、蝋燭を作っている時、どんなことを考えていますか?」
「どんなことって……」
  メイソンが教えてくれたロウソク作り。最初はメイソンが喜んでくれたり、部屋が明るくなったりいい匂いがするのが楽しかった。ロウソクを作っている時は、そんな感じだ。
「楽しい……?」
  キャロルは自信なさげに答えた。多分テイラーの求めている答えとは違うのだと思ったが、他に適切な回答が見つからなかった。
「楽しいのは良いことだと思います」
  テイラーは静かに答えた。
「ずっと楽しく続けられていたら、それで良いのだと思います。では、楽しく続けられなかった時はどうしましょう?」
  キャロルは試しに想像してみたが、ロウソクを作ることが楽しくないということが、あまりピンと来なかった。例えば明日までに数百本のロウソクを作らないと怒られるとなったら嫌になると思うけど、現実的にはありえないし、自分が数百本のロウソクを皆が本当に使ってくれるのならとても嬉しいとキャロルは思った。
「……わかんないよ。ロウソク作るのやっぱり楽しいもん」
「なるほど」
  テイラーは感心したように頷いた。なぜテイラーがそんな頷き方をするのかキャロルには見当がつかなかった。
 
「自分がそれほど望んでないことを、引き受けなければならないことがあるんですよ。そういう時にどうするか。自分がそれを望んでいたことにするんです。どうせ引き受けなければならないのなら、自分でそれを望んでたことにして、徹底的に引き受ける」
「自分が考えていないのに?嫌なのに?」
「はい。そういうものだと思ってください」
  キャロルは納得がいかなかったが、ここで飲み込まないとどうしようもなかったので、頷いた。
「あまり大きな声で言わないでほしいんですが、バロウズはそれをやったんです」
「バロウズが?」
「元々バロウズはあまり家のことは考えていませんでした。それがある日から変わったんです。進んでいろんなことを引き受けました」
  バロウズがテイラーにフェンシングを挑んだのも、武芸を磨くきっかけの一つにしたかったのだろうな、と今になってテイラーは思った。
「ずっと楽しんでやる人は強いです。だからキャロルは素晴らしい蝋燭屋になると思いますよ」 
  唐突に褒められてキャロルはびっくりした顔をした。 
「そしてもう一つ、強いのは」
  びっくりした顔をしたキャロルをしっかり見つめ返してテイラーは続けた。
「楽しいことも楽しくないことも、全部きっちり引き受けることを決めた人です」
 
 
 ■
 キャロルを送り届け、テイラーは店に戻った。だいぶ夜も更けてしまったが、まだやらなければいけないことは残っていた。裁断用の机の近くにシルクハットがあった。テイラーはシルクハットの近くにメモ書きがあるのに気付いた。
 
【テイラーへ
    シルクハットはできたよ!我ながらバッチリだと思います。
    明日は仕入れに行くから店にはいないけど、もしバロウズが来たら、試着の対応はお願いします。
 それじゃあ、よろしく!タキシード作り頑張って!
                                                                                                  ニルス】
 
  シルクハットはひと目見ていい出来だとわかった。ニルスもキャロルと同じく、帽子を作るのが楽しくて仕方がないのだろうな、とテイラーは思った。
   テイラーは奥から型紙を取り出した。型紙に触れると先ほどまで勝負をしていたバロウズのことを思い出した。バロウズが着るイメージができた。上質なシルクを入手するのに手間取ってしまっていたため、少し工程が遅れてしまっていたが、ようやく取り戻せる。
  手が汗ばんでいた。自分でも上気しているのがわかった。気持ちを落ち着かせないと荒い裁断をしてしまいそうだが、型紙は、いま一気に仕上げてしまいたかった。
  バロウズは男爵として生きていく覚悟を決めていた。それを即位式で皆にきちんと表現できるようなタキシード。あそびは要らない。シンプルに仕上げればいい。しかし、「シンプルに」というのはハードルが高い。全く誤魔化しが効かない。
  服は仕立屋の胸先三寸で全てが決まる。きっちり着こなせたら着る人間の手柄、決まらなかったら仕立屋の責任。しかし決まらなかったら、泥をかぶるのは服を着ている人間だ。だったら、仕立屋は相応の覚悟を以って臨まなければならない。相手が覚悟を決めた人間なら、なおさらだ。誰かを支えたり助けることは、誰かの影で何かをすることではない。自分も同じくらいの覚悟を決めなければならない、ということだ。テイラーは心からそう思った。
  テイラーは切り終えた型紙を眺めた。
  ここから自分の勝負が始まる。これから始めるのは争いごとではない。だが、覚悟を決めなければいけないことに変わりはなかった。重圧を感じた。きっとバロウズが感じているのは、これとはまた別のもっと強い重圧だ。
 
  バロウズの重圧を引き受ける。
  テイラーは型紙に線を引いた。覚悟が決まれば、あとは一直線だった。


「大丈夫?クロワッサン食べる?」
  パンジーはイスの背もたれに背中をぴったりつけて休んでいるテイラーに声をかけた。戸棚から取り出したクロワッサンを皿にとり、マーマレードジャムの瓶と共にテーブルに置く。
「ありがとう」
  テイラーはパンジーに礼を言うと、背中を背もたれから離してマーマレードジャムを皿によそい、クロワッサンの端をちぎって付けて食べた。
「タキシードは仕上がったの?」
「なんとか。仕上がりました」
「そっか」
  パンジーはコーヒーを淹れたマグカップを机に置いた。
  仕立てが終わったのだから、普通はもっと晴れ晴れとした顔をしている。それなのに、今は複雑な表情を浮かべている。テイラーはその自覚があったし、パンジーがそれに気付かないはずがなかった。余計な気を使わせて申し訳ないとテイラーは思ったが、今は何も言わずにそばにいてくれるパンジーがありがたかった。
  ともあれ仕立は終わった。流石に疲れが溜まっていた。
「パンジー……」
「ん、なに?」
「……コーヒー、もう一杯ください」
「明日が定休日で良かったね」
  テイラーは軽く頷いた。パンジーは空になったテイラーのマグカップを持ち、台所に二杯目のコーヒーを淹れに行った。
  テイラーは帳簿を取りに行った。疲れているが、ベットに入っても寝付ける気がしなかった。それだったら細々した仕事をしていた方がいい。帳簿を机に広げて、バロウズのタキシードのページをチェックしたところで、パンジーがコーヒーを淹れて戻ってきた。
「ありがとう。パンジーはもう寝てて大丈夫ですから」
「ううん、もうちょっと居る」
「…すみません」
  テイラーは礼を言い、コーヒーに砂糖を入れて一口飲んだ。
「この間、バロウズとフェンシングをしたんです」
  テイラーはパンジーの顔を見ずに、ゆっくりと話した。
「途中から全く勝てなくなりました。うまく説明できないんですが……もう勝てない、そう思いました。今思えば、バロウズは覚悟を決めていたのだと思います。男爵としての覚悟を」
「うん」
「バロウズが…急に遠くに行ってしまったように感じたんです」
  別れを泣きたいわけでもないし、かといって壮行を喜ぶほど明るくなれるわけでもない。両方の気持ちがそれぞれあって、どこにも持って行くあてが無かった。テイラーはそういう感情が生じることは知っていたが、そういう時にどうすれば良いかは未だにわからない。ただ、自分が寂しいという感情を抱えているということは、パンジーに話していて気付いた。
「バロウズは、男爵になったんだよ」
「そうですね」
「でも、男爵になれたのはテイラーのおかげだと思うよ」
  パンジーはテイラーに言った。
「フェンシングもやったし、タキシードも作ったんでしょ?テイラーがバロウズを助けたんだよ」
「……はい」
  バロウズの父親が亡くなって大変だったときも、バロウズは仕立屋に足を運んでいた。きっとそれは、即位式に着るためのタキシードの相談や、気晴らしのフェンシングの誘いだけが目的ではなかったのだろう。だからパンジーは、テイラーがバロウズをずっと助けていたと思っている。テイラーが居てくれるだけで、バロウズは良かったのだと。
「即位式。僕は楽しみにしているよ」
「……一緒に見に行ってくれませんか」
「もちろん。タキシードも見たいしね」

  
  テイラーは朝焼けの中、仕立てたタキシードを見つめた。これをバロウズは着て、ニルスのシルクハットを被り即位式に臨む。
  腹が座った。テイラーは重圧を感じたがそれ以上に自信を感じた。自分にあるのは、仕立屋としての覚悟だけではない。ニルスもパンジーも居る。このタキシードは、バロウズのために作ったタキシードだ。バロウズはこれをきっちり着こなしてくれる。
  何の心配も要らなかった。


  即位式が終わったら、男爵の凱旋が始まる。シルクハットとタキシードを着たバロウズを見るチャンスはそこだった。
「早く早く!」
「随分気合入ってるなあ」
「パレードが始まるから!急いで!」
  バロウズの即位を祝福するかのように、雲一つない青空が広がっていた。のんびりとしたニルスと対象的に、キャロルは早く来てと急かすようにテイラー達を呼んだ。
「馬車は逃げないよ」
「でも、みんな来るから見えなくなっちゃうよ」
パンジーが諭すも、キャロルは自分の身長では人混みに埋もれてしまうことを心配していたため前の方を確保したがっていた。
「そりゃパンジーはテイラーに肩車してもらえばいいけどさあ」
「しないよ!」
パンジーがキャロルに突っ込む。
「おや、しないんですか?」
「テイラー!」
パンジーがテイラーに突っ込む。そんな中、ポンポンと砲の音がした。
「あ、始まる!」
  しばらくすると、前方で歓声が上がった。バロウズの馬車が来たのだろう。ニルスも、パンジーも、テイラーも、キャロルも、バロウズの晴れ姿が楽しみだった。
  4人は胸を踊らせながら馬車が来るのを待った。

短編小説の集い「のべらっくす」第25回参加作品 感想一覧

 遅くなりましたが、先日参加した短編小説の集い「のべらっくす」の参加作品の感想を書きます。

 

 

135.hateblo.jp

 医者との会話、 湯船での考え事、病気の発端とシーンの転換がはっきりしていて、会話もテンポよくスイスイと読みやすい物語でした。それだけにオチは予測して無くて「うわ、そっちか!」と一本取られたという感想を抱きました。凛子さんが可愛いです。

 

あと個人的に、

水面から出ている膝のふたつの山を見る。 胸がドキドキと鼓動を打っている。 耳や頬のてっぺんがポーっと熱を帯びている。 「のぼせちゃったかな」と思いながら、ゆっくり湯船から身体を引き上げた。

ある可哀想な右手の顛末。/【第25回】短編小説の集い(今回のお題は病) - 百三十五年丸ノ内線

 ここの「膝のふたつの山」から始まる、お風呂に使って考え事をしている描写がとても好きです。

 

 

www.logosuemo.com

 ある病がきっかけで誕生した新人類シンクロン。彼らのお陰で世界は争いのない平和な世界が築かれるが、シンクロンとなった神代暁はある病気に罹患し、シンクロンを人類に戻す薬を発明する。神代がそうせざるを得なかった難病とは?

 とにかく着想が素晴らしいです。設定はSFなんですが、人間が神格化された悲劇というのは、シンクロンに限らず現実世界にもありうるのかなと思いました。

この世界において、シンクロンは理想の人間像であり神であった。

【第25回】短編小説の集い 投稿作品 『シンクロン』 - ロゴスエモ

 

 短編小説だから仕方ないのですが、もっと深掘りした詳細なストーリーを読みたいなあと思える一作でした。

 

noeloop.hatenablog.com

 今回のお題「病」にストレートに呼応した作品だと思います。本当に病気の話と思いきや、だんだん話が読めてくるのが読者と咲の目線を合わせる形になっていて、コメディとして良いです。読み終わった後、タイトルをもう一度読んで爽やかな読後感を味わえました。

 

「というわけで、咲隊員、一緒に委員長しばきに行こう!」

友達と天然は青春の華 第25回短編小説の集い「病」 - 泡沫のユメ

 

 それにしても、この手の話は現実世界にあるのでしょうか、と思う男子校出身者。

 

nogreenplace.hateblo.jp

 これは怖い。一人称の独白が続きどんな展開になるのかと思っていたら、静かな復讐劇を乗り越える話とは。確かにこれは一人称じゃないと成り立たないですね。後半、日記を渡されてから謎がスルスルと解かれていくところがヒヤリとしながらも面白く読み進められました。

 悲しい結末だけど、こういうのは大なり小なりある話なんだろうなあ。 

これから私がどう生きていくかはわかりませんが、まずは両親や祖父と真剣に向き合って行こうと考えています。祖母のことは未だに夢に見るほど好きなのですが、少しずつ忘れていかなければならないことは頭で理解しています。

満ち足りない ~短編小説の集い~ - さよならドルバッキー

  大好きな祖母と別れなければならないことを受け入れる決意が悲しいです。

 

diary.sweetberry.jp

 クトゥルフというブログタイトルから呪いとかのホラーだと勝手に先入観を抱いていたいので、オチにやられました。楽しいミステリー。

 あと、作者のなおなおさんが書いてたトリック、ちゃんと気付けてがちょっと嬉しかったです。息切れしているし里美ちゃんが来ていて「さ・・ちゃん」と行ってるから、てっきり同じ人かと思いきや。

 

その原因かどうかと言われると自信がなかったが、その不調は確かに先週末に幼馴染のさっちゃんと廃病院に探検に行った後から起こるようになった。

【第25回】短編小説の集い「心を蝕む」 - なおなおのクトゥルフ神話TRPG

 バッチリ原因でしたね。吊り橋効果。

 

syousetu.hatenadiary.com

「中学時代のあだ名は黒子、もしくはステルス」

「いつものTHE・忍者な俺どうした!?」

などなど、随所にあるフレーズが小気味よくて一気に読みました。演劇病というフィクションの病を元に、少年が抱く葛藤や恐怖を乗り越えるストーリー。1人で戦っていた漱也が戦いを終わらせる話、と読みました。心の中の戦いを終わらせるには、誰かに助けを求めるというのは、なんだか分かる気がします。

 

当時大好きだったゲーム「メタルギアソリッド」のスネークのような最強のスパイに生まれ変わったはずだったのに…。

第25回短編小説の集い参加作品ー演劇病 - 小説をちゃんと書こう

 メタルギアソリッドが出た時は、僕はもう大学生だったからこういうことはなかったけど、小学生だったら絶対真似していたし、心の中でなりきっていたと思う。

 

fnoithunder.hatenablog.com

  宇宙船団のリュウが病気になったルナを助けるために地底人に助けを求めるSF。リュウの必死さが悲しく、あまり明るい結末にはならなそうだと読み進めていました。エピローグでルナが地底人であったことは明かされるのですが、全部は明らかにならず、切ない読後感が味わえました。推測ですが、薬は地底人化するのを抑えるための薬で、ルナは観測という目的を離れてリュウに惹かれたのかな、と。

 的確なアドバイスになるかどうかはわかりませんが、リュウがルナを必死で思っているのは冒頭などでもわかるので、地底に行くまで医師を探したりする下りはある程度カットして他の要素を膨らましたほうが、より話が鮮明になるのかなと思いました。

 

novels.hatenadiary.com

 うーわー、辛いなあという凡庸な感想しか出せないくらい、描写がエグくて、加奈子と加奈子の母親が置かれた立場が辛すぎました。この物語はフィクションですが、もしこの通りの事件が発生したら、きっとこの通りの話になるのだろうとしか思えません。

 

一体誰が、加奈子を裁けるのだろう? 性被害者がやり返すことに対し、それがどうしてだめなのかを説明できる人がいるのだろうか。きっと、母親が生きている間中、加奈子の起こした事件は「さまざまな立場の人が議論するだけ」で終わる。加奈子は議論の真ん中に置かれているが、もう心はここにない。それが性被害によるものか、単に加奈子が狂ったのか、それがわかったところでもうどうしようもない。

【第25回 短編小説の集い参加作】白い部屋で彼女は - novelsのブログ

 議論しても結論が出せない事は、 どうやったら乗り越えられるのだろう。

 

masarin-m.hatenablog.com

 おっさんとして興味深く読みました。入院して自分たちが通常の社会から隔離された存在になって、いままでやってきたことができなくなったりした時、どんなことを思い何をするのか。 

だから、小杉さんが看護師さんたちに声をかけるのも、異常な状態か、人寂しいかどちらなのだと思う。話を聞いていて、後者である気がした。あの看護師さんに説明してもわからないと思うが。 私はもう少し熱心に小杉さんにつきあってあげようと思った。

第二十五回 短編小説の集い参加作品「入院中の出来事」 - 明日は明日の風が吹く

 僕は両方だと思いました。人寂しいのはその通りだけど、社会から隔離されて、カメラマンも諦めようとする事態、関わりを持てる人は主人公のような入院患者と看護師ぐらい。普段とは違う異常事態。普段の小杉さんは人寂しくてもそこまで話しかけないのでは、と想像しました。

その距離の近さとは、体育会系の部活の先輩・後輩のようなものだった。だから、男としてはそれほど不快でもない。もちろん、体調が万全ならば。患者はみな、少し痛みなどがなくなり、血液検査の数値に異常がなくなると、自分は完全に復調したと思い込む。退院したら、何かすごいことをしてやろうと思う。短期入院などではそうだろうが、長期の入院になれば、退院直後は、外界に身体をならすことくらいしかできない。入院中は自分がどれだけ保護されているかが、退院すると身にしみてわかる。

第二十五回 短編小説の集い参加作品「入院中の出来事」 - 明日は明日の風が吹く

 意見の全部には同意できないけど、この辺の語り口はとても良いです。

 

最後に自分の作品の振り返りを。

 

author-town.hatenablog.jp

 タイトルが先に決まりました。「あの人」というフレーズを妻側の人に言わせて、夫との距離が遠いことを意識させようと思いました。父親と子供が同じように小説を書くという着想はあったのですが、どうやって病気とリンクさせようか悩んだ結果、少しずつ喘息を悪化させて物書きにのめり込むことにしました。

 劇中作は龍一が会社勤めの経験をもとに書いた小説ですが、もっと劇中作であることを明示したほうが良かったですね。

 

 ちなみに作中の「ベルベラ」は、喘息薬「レルベア」のもじりです。

www.healthgsk.jp

 実在する薬品だから名称をそのまま使うのは避けたのですが、使っても良かったかな。

 

以上、振り返りでした。今月もできれば参加したい所存。

 

他の方々の振り返りはこちらからどうぞ。

novelcluster.hatenablog.jp

短編小説の集い「のべらっくす」第25回参加作品 「あの人、病気だから」

短編小説の集いというイベントをやっていることを知りました。

novelcluster.hatenablog.jp

 

今回のお第は「病」で5000字以内、というレギュレーションとのこと。

というわけで参加させていただきます。

 

----------------------ここから------------------------------------

あの人、病気だから

 

 「あの人、病気だから」

 襖をそっと開けて、ゴホゴホと咳き込む父親を心配して見つめる龍一に、真美は諭すように静かに告げた。病気なのだから、咳き込んで苦しむのは仕方のないことだ。それなのに、なぜお父さんは寝ないで机に向かっているのだろう。龍一にはわからなかった。

  今になって思えば、原稿の締め切りが近かったのだろうと想像はつく。だから、持病の喘息に耐えてでも書かざるを得なかったのだ、と。たとえその後、肺炎をこじらせて此の世を去ることになったとしても。

 

 

  「小笠原係長、RMSの東川さんです」

  「分かった、転送して」

  アシスタントの女の子には、密かに抱いた嫌な予感はおくびにも出さず、電話転送をお願いした。待っている最中に受信メールが来た。東川からのメールだった。

【ベルペラの荷離れ件数が不整合を起こしています】

 件名だけで言いたいことが分かる東川のメールは良いと龍一は思っていた。ただし、それはただの連絡事項の場合で、この後の電話のやりとりや対応策の協議を連想させるような件名は、あまりありがたくなかった。

 ごほごほと咳払いをしながら、龍一は転送された電話に出た。

 

 

「ベルペラ、アルザック、荷離れ件数全て一致しました」

「分かりました。東川さん、これでデータ復旧は全て完了した?」

「当日分は全て完了しました。…ご迷惑をおかけし申し訳ありませんでした」

「まあ、影響範囲が日次分だけで良かったですよ」

 ふう、と一息をついて龍一は時計を見た。23時30分。遅い時間だが、急がなくても終電には間に合う時間だった。東川からデータの件数が合わないこと、17時時点で原因が特定できないという報告を受けて、今日は帰れないことを龍一は覚悟していた。しかし、20時には原因が判明し、障害の影響範囲も調査が完了し、思ったよりも大きくないことが分かった。

「5時からの日次バッチは、立会どうするの?」

「中西が5時に出社しますので、中西にお願いしています」

「あれ、MMT移行テストの最中じゃなかった?」

「はいそうです。ただ、ウチの担当分のテストは7時に始まるので、それまでは待機と確認しをお願いしようかと」

 普段から顔色の悪い移行チームのサブリーダーの健康状態を思いながら、龍一は引き出しから薬入れを取り出し、オレンジの錠剤を口に入れ水で流し込んだ。

「…あれ?それ、アルザックですか?」

「ん?ああ、そうだよ」

「小笠原さん、喘息なんですか?」

「最近、咳喘息になっちゃってね。親が喘息でゴホゴホ言ってて苦しそうだなあって思っていたけど、まさかこの歳で自分がなるなんで思わなかったよ」

 軽く笑いながら、龍一は質問に答えた。東川は、納得したように龍一の机の上に置かれたのど飴と湿度計を見た。

「この会社にはずっとお世話になりそうですね」

「ホントだよ。会社を辞めても薬はやめられないからね」

 

 

  午前0時30分。締切日はあと1日、なんとか間に合いそうだ。龍一はそう思いながら、加湿器の給水タンクを取り出し、音を立てないように水を注いだ。本当は一刻も早く書き始めたいが、うるさくすると一秀と佐紀子が起きてしまい、面倒なことになる。はやる気持ちを抑えながら、龍一は給水タンクに水が貯まるのを待った。

 龍一は十分に水が溜まった給水タンクを慎重に運びながら、加湿器にセットしスイッチを入れた。「ピーッ」という音がやけに大きく聞こえ、一秀たちが起きてしまうのではとそわそわした。程なく、加湿器からしゅうしゅうという音とともに白い蒸気が上がってきた。

 準備は出来た。「33」というデジタル数字を見届け、龍一はPCの蓋を開けた。

 

【吉川はもう帰るのを諦めて、端末を起動し影響範囲の調査に乗り出した。レビューを午前2時にやるなんて正気の沙汰じゃない、ただのアリバイ工作で効果が得られるわけがない、それでしわ寄せはこういう末端に来るんだ。吉川はディスプレイに移る緑色のコマンド列を睨みつけながら、犯人探しを初めた。】

 

  喉の奥が苦しくなり、龍一は咳き込んだ。咳き込んだところで、マスクが無いことに気付き龍一は焦った。このままでは一秀が起きてしまう。咳が落ち着いたところで、龍一は慎重に目の前のコップの水を咳き込まないようにゆっくり飲んだ。

 

 

 「お父さん大丈夫?」

 龍一はびっくりして、声のした方向を見た。戦隊モノのパジャマを着た一秀が立っていた。

 「ごめんな、起こしちゃったか」

 「ううん大丈夫」

 一秀はそう言ったが、声の調子から明らかに眠いのが分かる。龍一はすぐに一秀を寝かせようと、そっと手を背中に寄せ佐紀子が寝ている寝室に誘導した。

 「お父さん病気なの?」

 「お父さん?ううん元気だよ。どうして?」

 「最近ゴホゴホって言ってる」

 「ああ、それはね、ぜんそくだからだよ」

 「ぜんそく?」

 「冬になるとせきをする、それだけ」

 「冬がおわったら?」

 「せきをしなくなる」

 「そっか」

 足取りと返事のおぼつかない一秀と一緒に、龍一は佐紀子の寝る寝室に入り一秀をそっと布団に寝かせた。

 「おやすみ」

 「おやすみ」

 

 【リーダーが出社しているのを、今月に入って見たことが無い。気になって聞いてみたら、先月末で離脱しているという。吉川は目眩がした。いくら非プロパーだからと言って、リーダーの離脱を知らせないなんて有りうるのだろうか。

 「吉川さん、約定画面なんだけど、3000件一気に更新できないのなんで?」

 業務チームの惣田からチャットメッセージが来た。そこの仕様はリーダーと調整をして運用で回避しようと決めたところだ。どうやらリーダーは業務チームと仕様を握っていなかったらしい。

 今月は長い戦いになりそうだ―――――――――。

 吉川は坂本にどうやって告げようか、】

 

 ごほっ、ごほっごほっ。

 龍一は発作が漏れないよう、布団を口に当てて必死で咳き込んだ。また一秀が起きてしまう。

 しばらくすると、咳が収まった。いつの間にか加湿器の音が聞こえなくなっていた。加湿器を確認すると、「E」のランプが点滅していた。随分時間が立っていたらしい。締切まで時間がないので、給水に向かう時間も惜しかったが、背に腹は代えられない。龍一は加湿器の給水タンクをそっと取り出し、風呂場に向った。

 

【リーダーになったはいいが、結局それは給与の高さとか、そうでないと年を取った時にやっていけないという虚栄心とか、そういう世間との柵の話であって、本当にシステムと向き合いたいわけではなかったのだ、ということを吉川はいやというほど思い知った。プログラムが動くのを見るのはなんとなく面白いが、ただ『なんとなく』である以上、必要以上に伸びる目の前のボックスのアニメーションには殺意しか抱けなかった。

 なんのためにこのボックスは伸びるのだろう。

 なんのためにこんなデータを書き込んでおくのだろう。

 なんのためにこんな仕様書をわざわざ書くのだろう。

 

 吉川がいつも抱いていた疑問に、今の吉川は答えが出せないでいた。】

 

 これで今月分の連載原稿は目処が付いた。空はまだ薄暗い。そうだ、今日は冬至だ。せっかくだから、今日はかぼちゃの煮つけを佐紀子に作ってもらおうか。

 そぼろタレがかぼちゃから垂れるシーンをイメージした瞬間、発作が来た。グエッホッホッと肺に響く音を立てて、龍一は咳き込んだ。冬はいつもこれだから困る。だが、不思議と冬になると執筆の調子が良くなる。咳のせいかどうかは知らないが、いつのまにか龍一にとって喘息は執筆の合図になっていた。今日は調子があまり良くない。一眠りしたら、多分原稿を書いたほうが捗るのだろう。

 龍一はグラスに残った水を飲み干し、布団についた。

 

 

 「お父さん、風邪なの?」

 一秀はランドセルを置いて母親に尋ねた。

 「原稿が終わって寝てるだけよ、でもあまり調子は良くないみたい」

 佐紀子は一秀に答えた。一秀は、そっとふすまを空けて中を見やった、父親は、時折苦しそうに咳き込んでいた。

 

 「咳がひどいみたいだね」

 「仕方ないわよ。あの人、病気だから」

 佐紀子はそう言いながら、カボチャを台所に運んでいった。

はてな題詠「短歌の目」第13回(2016年11月)参加

間が空いてしまいましたが、「短歌の目」11月のお題に参加します。

一年ぶりという事実にびっくりです。

tankanome.hateblo.jp

 

1.本

 友人に Kindle fire 見せられて 良い本だったと 勧められるも

 

2.手袋

 オーブンの グラタン皿を 素手で持つ 食卓に運ぶ 必要もなし

 

3.みぞれ

 みぞれ雪 観測上は 雪とする 少数派閥の みぞれ雨水

 

4.狐

   似ていると 言われることは 無いのだろう キツネ目の男 隣のテーブル

 

5.メリークリスマス

 内乱を 報じる記事に コメントし 鳥に刃を入れ  メリークリスマス

 

テーマ「酒」

  酒の味 大人になれば わかるよと 信じてグラスの 琥珀を睨む

  ごめんねえ 酔ってるからねと 免罪符 宗教改革 ルターよ集え

  ブラックを 必死に飲み干す 中学生 知らぬが仏 アイリッシュコーヒー

  フルカラー ボトルに向き合う デザイナー 固体と液体  ふたつのワールド

 

 

感想などいただけると泣いて喜びます。

 

それでは、また。

遠雷

   崖の上から見る景色は、いつも以上に境目がなかった。空には雲一つ無く、海には船一つなく、ただ海が太陽の光を反射し、地平線が広がってるだけだった。風は少し強くて、頭に撒いたタオルをかすかになびかせていたが、肌寒さを感じる程ではなかった。とはいえ、陽射しから察するに、まもなく秋が終わり冬がやってくるのだろう。

   ノエルはいつものように、ケースからアルトサックスを取り出した。

  

 

   あれだけ苦戦したマウスピースの咥え方も、最初は訳がわからなった運指も、今では何も意識しないでできるようになるのだから、人間の学習能力はすごいな、とノエルは吹きなから思った。その一方で、肺活量がなかなか上がらないことに苛立ちも覚えていた。今日もいいペースだったのに、サビを終えてからの間奏からパワーが無くなっていったのが自分でもわかった。

  「いい曲じゃない」

   ノエルが曲を吹き終えて一息つくと、後ろから声をかけられた。振り返ると、画材道具一式を持った黒服の女性が立っていた。ジンジャーだ。

  「お世辞とか言わなくていいよ」

  ノエルはマウスピースを拭きながら声をかけてきた女性に返した。

  「お世辞じゃないわよ。いい曲。演奏に力が足りなかっただけ」

  ノエルは反射的にジンジャーを睨みつけた。しかしそれは、ジンジャーの指摘が正しいことを認めていることを物語っていた。ジンジャーはノエルが睨みつけるのも意に介せず、イーゼルを組み立ててキャンバスを置いた。

  「…‥ここにジンジャーが来るのって、随分久しぶりな気がするけど」

   ノエルは何も言い返せない気まずさを少し和らげようと ーもっとも本人にその自覚はあまりなかったがー ジンジャーに尋ねた。

  「うん、すごく久しぶり。ずっと絵を教えていたし」

  「教えてた?」

   「あ…‥」

  しまった、と言う表情をしてジンジャーは口を噤んだ。

 

 

  一週間ほど前の話。

  ジンジャーのアトリエ兼自宅に、青いベレー帽を被った可愛らしい女性が唐突にやってきた。

  「あの、私、ファンなんです!お願いします、弟子にしてくれませんか!?」

    顔立ちと声から少し幼い印象を受けたが、実際には自分と同じぐらいだろう。そんな想像をしていたジンジャーは、想像だにしなかった申し出に面食らった。

  「……え、ええと、名前は?」

  「ヘイゼルです!」

  ジンジャーは尋ねたが、実のところ、名前を知りたいわけではなかった。弟子入りさせて欲しいという申し出があまりに唐突で、どうしていいか分からなかったというのが正直なところだ。だが、ヘイゼルと名乗ったその女性は、どういうわけか名前を聞いたことを弟子入りの承諾の意ととってしまったらしい。

  「ジンジャーさん、ありがとうございます!!!!!」

  「え、ええっ!?ええと、あたし絵を教えるとかやったこと無いし全然うまくなる保証とかないわよ…‥」

  「大丈夫です!!がんばります!!よろしくお願いします!!」

  「よ、よろしく……」

   あまりにキラキラした満面の笑みで握手を求めるヘイゼルに、ジンジャーは応じるしかなかった。

 

 

   陽が落ちてきた。しかしノエルは、最後まで息が続かないという課題をクリアできないどころか、回数を重ねれば重ねるほど音が荒れていく気がして険しい表情をしていた。

  「…‥ねえ。何か今日いつも以上にイライラしてない?」

  そんなノエルの様子を見兼ねたジンジャーが、ノエルに声をかけた。 

   「『いつも』以上?」

   ノエルはジンジャーの言葉に虚を突かれた表情をした。

   「え、気付いてないの?」

   「気付いてないって……」

   「少なくとも」

  ノエルが自覚していないことをわかったジンジャーは、ゆっくりとした口調でノエルに話した。

  「そのアルトサックスを吹いている時は、いつもより怒っているような感情が出てる。フルートの時はそんな感情は出ていない。なぜかはわからないけど」

 

 

  ノエルの兄、ルーサーはこのアルトサックスをよく吹いていた。ルーサーのサックスは、時には力強く躍動感が溢れて、時には静かで切なさを覚えるようなサックスだった。ノエルはそんなルーサーの演奏が好きだった。自分のフルートは優しくていい音色だとルーサーは褒めてくれたが、それよりもルーサーの、アルトサックスの力強い音色はノエルの憧れだった。

  そのルーサーはこの村にもう居ない。

  ルーサーは「船乗りになって海を渡る」という言葉とアルトサックスをだけを残して海を渡っていった。  

  今もルーサーは、この崖から見える海の何処かを勝手に航海しているのだろう。何時帰ってくるかも分からない。そもそも、もう帰ってこない可能性だって、今生きていない可能性だってある。ルーサーの事を考えていてもぐるぐる思考が回るだけで何も結論に辿りつけない。

  だから、ノエルはルーサーのことを考えるのをやめることにした。

 

 

  ジンジャーの指摘にノエルは言葉を返すことができなかった。ジンジャーの指摘は正確だった。ただ一点、「なぜかはわからない」という点を除いて。だからこそ、ジンジャーの指摘をノエルは黙って飲み込むしかなかった。

  

  「……ジンジャーは、その弟子のヘイゼルに絵の描き方を教えてるの?」

  ノエルはアルトサックスを片付けながら、ジンジャーに尋ねた。

  「……あんまり」

  確かにジンジャーは積極的に絵を教えることはしなかった。しかし、ヘイゼルが弟子入りする時に、「絵を教えられる保証はない」とヘイゼルに明言し、その上でヘイゼルは弟子入りの意志を変えなかったので、ジンジャー自身に落ち度があるわけではない。けれど、最初こそどのように対象をデッサンするのかなど、ジンジャーなりに師匠らしくヘイゼルにレクチャーをしていたが、すぐに教えられるネタは尽きてしまった。

  「それ、ただの付き人なんじゃないの?」

   「付き人って…‥」

  しかし、ノエルの言葉にジンジャーは何も言い返せなかった。確かに消耗品が足りなくなりそうな時はすぐに補充品を調達してくれたし、道具が傷んできた時には新製品のカタログを用意した上で、的確な助言までしてくれた。ヘイゼルのアドバイスで新しく購入した筆のおかげで、今まで苦労していた色塗りが嘘のように楽に塗れた時には、信じられないと思った。

   だからこそ、なぜヘイゼルが自分に弟子入りさせて欲しいと言ってきたのか、ジンジャーにはわからなかった。

  「あれだけわかってるんだったら、わざわざあたしのところに弟子入りなんかしなくたって描けると思うんだけど…‥あれ?」

   「どうしたの?」

   何とはなしにノエル呟いたところで、ジンジャーは気付いた。

   「あたしヘイゼルの描いた絵、見たことない……」

 

 

  「ヘイゼル、描いた絵見せて!」

   アトリエに戻るやいなや、ジンジャーは配達された絵の具のチューブを整理していたヘイゼルに呼びかけた。

「え、ええっ!?」

  突然の呼びかけにヘイゼルはびっくりし、絵の具チューブを落としそうになった。 

  「でもでも上手く描け……」 

  「いいの!とにかく描いて!!」

  ジンジャーは、自分の予想に確信を持った。 理由はわからないけど、ヘイゼルは絵を描くのを怖がっている。

 

 

  「ヘイゼルは、その絵を見てどう思う?」

  「どうって…‥」

  ヘイゼルは言い淀んだ。 ジンジャーに絵を描くように言われ、何も描きたいものがなかったので仕方なく今夜の料理に使おうと思っていたキャベツの絵。上手く描けたとも、だからといって下手くそとも思えなかった。要するに、感想は無かった。

「感想は特に無し?」 

「え、ええっと…‥ないです…‥」

  仕方なくヘイゼルは思った通りのことを正直に述べた。

 「そうよね。いきなり『絵を描け!』って言われて描いたんだからあるわけないわね」

「ジンジャーさん?」 

  感想が無いことを肯定されるとは思わなかったヘイゼルは、少し驚いた様子でジンジャーを見た。

  「大事なことを教え忘れていたから、よく聞いてね。嬉しい、悲しい、怒ってる。なんでもいいんだけど、そう思ったらその気持ちは絶対覚えてて」

  「気持ちを…‥?」

  「そう。……何かを表そうと思ったら、気持ちは避けて通れない。例えば、怒っている気持ちと悲しい気持ち。どっちも味わいたくない嫌な気持ちかもしれないけど、そんな気持ちが助けてくれることがある。絵を描くときや、詩を書くとき、あとは音楽を作って演奏する時もね」

  「ジンジャーさんも、そんな気持ちを持って描いているんですか…‥?」

  「もちろん、その時味わった時のような強い感情はいつまでも持っていられないけどね。つらいし。でも、中にはそんな強い感情をいつまでも持ち続けている人がいるの。そんな人は、いろんな人の気持ちを動かすだけのパワーを持っているんだけど、辛い気持ちに苦しんでる。苦しみながら生み出していく」

  いつになく真剣なジンジャーの言葉を、ヘイゼルは黙って聴いていた。

  「だからね」

  ジンジャーは続けた。

  「ファンを作るの」

  「ファン?」

  「そう。ファンは、自分の気持ちを聴いてくれる人達だと思って。だからその人達を大事にしないといけない」

  ジンジャーはアトリエの奥にある、少しすすのかかった絵を持ってきた。

  「そして、そのファンに最初に自分がなるの」

 

 

  雲一つない青空とどこまでも続いていく地平線。思ったより風が強く寒いため、絵を描く意志は折れたけど、この景色はとても綺麗だとヘイゼルは思った。寒さを堪えながら景色を眺めていると、後ろから声をかけられた。ヘイゼルが振り返ると、楽器のケースを右手に持ち頭に黄色い布をなびかせている男の人が居た。

  「そこ、いいかな?」

  「え……?」

  「そこで楽器の練習をしたいんだけど」

  「え、あ、はいすみません!」

   ヘイゼルは慌てた様子で下がりノエルに場所を譲った。

 

 

  あと一歩が届かなかった。ようやく息は最後まで続くようになった。でも、まだ息が続くだけだとノエルは思った。もう少し、あと少し。でもまだ、届かない。

  「あの、すごいですね!!」

  演奏を聴いていたヘイゼルが、ノエルに声をかけた。

  「すごい?」

  「すごく気持ちがこもってると思いました!こんなに気持ちが伝わってくる演奏ってすごいです!」

  「気持ちが……?」

  「すごく何か待ち遠しい感じがして、でも寂しい感じとかもあって、すごいです!」

  「…‥ありがとう」

   別にそんなこと感じていないけど、とノエルは思ったが、すごいを多用するヘイゼルの言葉に悪い気はしなかった。

  「いつもここで演奏しているんですか?」

  「大体はね。天気が悪かったらさすがにやらないけど」

  「じゃあここに来れば……あ、お名前教えてくれませんか?」

 「ノエル。君は?」

 「ヘイゼルです!ここに来ればノエルさんの曲が聴けるんですね!」

  ああ、彼女がヘイゼルか。確かに青のベレー帽をかぶっていて画材道具も抱えている。ノエルは納得した。

   「ヘイゼルは絵を描くの?」

   「あ、はい、この間まで弟子入りしていたんですけど、クビになっちゃって」

   「クビ!?」

   ノエルは驚いてヘイゼルを見た。あまりにノエルが大きなリアクションを取るのでヘイゼルもつられて驚いた。

   「あ、別に何かしたわけじゃないですよ、本当に。ただ、ジ…‥先生が色んな所を見てこいって」

  「色んな所?」

  「そうしないと、私がいつまでたっても先生のところにいるから、そういうのは良くないって……」

  「ふうん……で、どういうところへ行くつもりなの?」

  「こことか!」

  「え、ここ?」

   ノエルは首を傾げて尋ねた。

  「ここ、すごく見晴らしがいいじゃないですか!それにノエルさんの曲も聴けますし!」

  「自分の好きな場所を探すってこと?」

  「はい!私、嬉しいことがあったら、絵を描きたくなるんです!それがわかったから、そういうところがありそうな場所を探しているんです!」

  ヘイゼルは嬉しそうにノエルに話した。確かに、もう冬になろうとしているのに、風の強いこの場所で薄着なのにも関わらず離れようとする気配がない。ヘイゼルがここを気に入っているというのは本当なのだろう。

  ふと、ノエルは思った。

  「さっき嬉しいことがあったら絵を描きたくなるって言ってたけど、どういう意味?」

  「えっと。気持ちが大事なんです」

  「気持ち?」

  疑問に思うノエルにヘイゼルは説明を始めた。

  「嬉しい気持ちとか、悲しい気持ちとか、怒ったりする気持ちとか、そういうのを大事にしないといけないんです。先生がそう言ってたんですけど、私もそう思います。私は嬉しいことがあったら、それをみんなに『嬉しいことがあったー!』って伝えたいんですけど、そういう時、絵を描きたくなるんです」

  画材道具をカバンから取り出しながらヘイゼルは語り続けた。

  「悲しい気持ちとか、怒ったりする気持ちとか、そういう気持ちになった時に絵を描きたくなることは、私はよくわからないんですけど、でも先生は、悲しい気持ちを大事にして描いているって言っててすごいなあって」

  「悲しい気持ち……」

  「それから中には、すごく怒った気持ちを抱えている人もいて」

   怒った気持ち、 という言葉にノエルは少し眉を動かした。

  「そんな人はいろんな人の気持ちを動かすパワーがあって、でもその人は苦しみながら生み出しているって」

  「君もそう思う?」 

  ノエルが問いかけた。

  「私は……そんな人に会いたいです。そんなに苦しんでいるのに、人の心を動かす作品を作れるなんて、すごく立派な人だと思います。……先生がそうでしたから」 

 

 

  いつのまにか、東側に黒い雲が集まってきていた。

  「……これ、雪が降るかもね」

  「雪降るんですか!?」 

  「何でそんなに嬉しそうなの」

   東の黒い雲を嬉しそうに見つめるヘイゼルにノエルは尋ねた。

  「楽しいじゃないですか!雪ダルマとか、ソリとか!」 

  雪が降ると決まったわけでもないのにはしゃぐヘイゼルに少し呆れた様子で、ノエルはアルトサックスをケースに仕舞った。

  「帰るんですか?」

  「天気が悪くなりそうだからね」

  「あ、じゃあ食堂に来ませんか?」

  「食堂?」

  「最近、住み込みで食堂でアルバイトしているんです。美味しいですよ、お好み焼きとか、きんぴらゴボウとか、エスカロップとか!」

  ノエルはヘイゼルの紹介してくれた料理がどんな料理か想像がつかなかったが、ちょうど空腹を覚えていたので、ヘイゼルの申し出には少し心が動いた。

  「…‥わかった。行くよ。で、お願いがあるんだけど」

  「はい、何ですか?」

  「ヘイゼルの絵、見せてくれない?」

   ジンジャーの弟子だった人が、嬉しい時に描く絵ってどんな絵なんだろう。ノエルはそんな好奇心から聞いてみた。

  「…‥は、はい、ありがとうございます!!!」

    ヘイゼルは顔を紅潮させて、ノエルに感謝の言葉を伝えた。

  「え、え、何でそんなに赤くなるの…」

  「だって、ファンになってくれるかもしれないと思ったら嬉しくて……」

  「ファン……?」

   ノエルはヘイゼルの絵をちょっとした好奇心で見たいと思っただけだ。実物を見たことが無いので、ファンになるかどうかは全然わからない。だが、あまりに嬉しそうなヘイゼルに対して、冷静に事実を伝えることが今のノエルにはできなかった。

  「……まあ、ファンが増えるのはいいことなんじゃないかな。自分の作品を見てもらえるのは励みにもなるし」

  「本当ですか!?じゃあ、私もノエルさんの曲これからも聴きます!」

  「えっ……」

   一般論で話を誤魔化そうとしたノエルに対してヘイゼルが告げた言葉に、ノエルは完全に虚を突かれた。

   「私、ノエルさんの曲のファンです!」

  全力で告げるヘイゼルに、ノエルは「お、おう」と顔で表現した。どんな顔をすればよいのかわからなかった。

 

 

  「あ!」

  「雪だね」

   食堂へ向かう道中、ノエルの予想通り雪が降ってきた。

  「これ積もるんじゃないですか!?」

   「積もりそうだね」

    はしゃぐヘイゼルにノエルは冷静に答えた。例年より降るペースが早いし、水っぽさが少ない。このペースで降れば明日の朝には雪だるまが作れるくらいにはなるだろう。でも、それをヘイゼルが知るのは明日の朝でいいと思い、ノエルは何も言わなかった。

  「お腹が空いてきたね」

  「私もです。お好み焼きもきんぴらゴボウもエスカロップも、すごく美味しいんですよ!楽しみにしててください!」

  「そんなに食べられないよ」

  「大丈夫です。ファンになりますから、食べられます!」

   ヘイゼルの言っていることは無茶苦茶だったが、ノエルが空腹で料理を楽しみにしていたのは事実だった。

  (ファン、か……)

  とにかくルーサーを負かしたい一心だけで演奏していたから、誰かのファンになる、ということを全然考えてなかったな、とノエルは思った。ルーサーのことを考えないようにしていたけど、結局ルーサー以外のことは考えてなかったのと同じだった。

 

 

  ファンになれるといいな。

  ノエルはヘイゼルと食堂の門を叩いた。