文豪の書物置き場

文豪タウンが書いた創作物を置いています。本ブログ内の記事はすべてフィクションです。

私はもう座れない

  あれからXX年、彼女はバスを追い抜いた―――

 

「諦めろよ。もう潮時なんだろうよ」

  隣の椅子が突き放したように私に言う。人間の世界でいうところの「古株」に私も隣の椅子もなった。バスが作られて運行が始まってから、乗客のバス酔いによる嘔吐や寝汗、ペットボトルで汚されたり、重すぎる乗客にスプリングが耐えられず破壊され、それっきりバスからいなくなってしまった椅子も決して少なくない。椅子は定期的にメンテナンスがされているが、その中でも私達は最も摩耗が少なく珍しがられているらしい。

「ここの椅子は他と比べてきれいだよな」

「だよなあ、同じようにメンテしているのに」

  業者がそう言いながらメンテナンスをしているのを聞いた。心当たりはある。

  隣の席を予約する客 -隣の椅子の「推し」だそうだ-は、本当に丁寧に椅子を扱ってくれるからだ。

  そして私の席を予約する客 -私の「推し」だ- は、そもそも私に座らないからだ。

 

「しかし、もったいないことするよなぁ。窓側のお前の席なんて見晴らしもいいし、換気もできるから、バス酔いしやすい客にもありがたい席なのによ。予約して座らないって、全く何考えてるんだか」

「…事情があるんだと思う、きっと」

「はい事情ー。お前の推しの事情ってなんだろうな。大方酒を飲んでて間に合わなかったとか、そんなもんだろ」

「違う!!」

  あまりに大きな声だったからか、隣の椅子がビクリとスプリングを揺らした。

「あ、ごめんなさい…」

  私は慌ててシートを倒して彼に詫びた。

「い、いや俺こそ悪かった…」

  隣の椅子はしばらく揺れていたが、次第に落ち着きを取り戻した。

「でもよ」

  スプリングの揺れが収まった隣の椅子が、私に改めて話しかけた。

「バス会社にしちゃあ別に関係無いかもしれないけどよ。座ってもらえないのはやっぱり悲しいぜ。せっかく俺達も椅子として生きて椅子として死ぬのによ」

「…まあね」

「少なくとも俺はずっとタカシに座ってもらえて幸せだったぜ。最近は行きの時しか使わないし、『これが最後の着席かもしれない』と心している。いつかは俺達のことも忘れて、新幹線様に世話になるんだろうよ」

「そんな…!!」

「いいじゃねえか。俺達みたいな深夜バスより、新幹線の特等席・グリーン車にタカシが座ってると考えたら…そりゃ、悔しいぜ。なんであそこにいる椅子が俺じゃねえんだって、な。でもよ、タカシがグリーン車に座れているってのは幸せなことなんだよ。そうだろ?」

「……」

  私は何も言い返せなかった。私だって丁寧に作られた椅子だ。シートのデザインも評判がいいし、幅も普通の深夜バスより広く快適だ。スペックだけなら新幹線の大混雑した自由席には勝てる自信がある。でも私達には新幹線には勝てない。私たちは深夜バスの座席だからだ。どんなに頑張っても日中には座ってもらえない。深夜以外の時間帯に移動すると決められたら、どうしようもない。

  そして私は、新幹線のグリーン車の座席にはスペックでも勝てない。

「だからよ」

  隣の椅子が話しかけてきた。物思いに耽っていたので慌ててシートを元に戻した。

「俺はこれからお払い箱になっちまって、溶鉱炉とかでドロドロに溶かされるかもしれねえけど、それでグリーン車の椅子に転生できるなら別に悪くねえや」

「え…待って、どういうこと!?あなた交換されちゃうの!?」

「ああ。スプリングの調整がおかしくなってな。調べてみたら片方がおかしなことになっているらしい。しかもシートもちゃんと倒れないと来た」

  隣の椅子がシートを倒した。しかし、

「これが今の俺の限界だ。こんなの、人様が寝るには中途半端だろ」

  角度にして30度もない。確かにリラックスできると標榜している座席としては不十分だ。

「いままで世話になったな、達者でな」

  いままでと何も変わらない調子で笑いながら隣の椅子は言った。

「だからよ」

  いままで聞いたこともない低い悲しい声で隣の椅子は言った。

「もう諦めろよ。俺達はいつまでも推しに座ってもらえるわけじゃねえんだ」

 

  深夜バス。23時以降に運行され長い距離を走るバス。その間乗客は椅子に座ったままだ。だから椅子と乗客は深いつながりができると思っていた。さすがに国際線の飛行機には叶わないけれど、地下鉄よりも、特急よりも、新幹線よりも、国内の長距離を移動する限りは、私達が一番乗客とつながっている。そんな私達に「推し」ができるのは自然な話だ。でも「推しの命」は短い。人は深夜バスにいつかは乗らなくなり、新幹線や飛行機に乗って、私達を追い抜いていく。

  いつか推しは、私達に別れも告げずにいなくなる。

 

  「はじめまして!深夜バスのこと、右も左もわからなくてちょっと緊張していますが、一生懸命頑張りますのでよろしくお願いします!!」

  新しく入った隣の椅子が元気に挨拶してきた。そんなに可動域を揺らしたら乗客が困ると軽くたしなめた。これから彼女も乗客に座ってもらい、推しができて、別れに涙するのだろうか。せめて乗客に汚されることのないように最後までまっとうできますようにと、心のなかで思う。さっき別れを告げた彼は、これから廃棄され、運が良ければなにかに転生できるのだろう。その時は、推しの近くにいられる何かになれるのだろうか。

 

  ある日、自分の席の予約状況を確認して危うくスプリングが壊れそうになった。「推し」の名前があった。いつ以来だろう。どうして予約をしたんだろう。何があったんだろう。「推し」のことがぐるぐると前進をかけめぐっていった。今日は推しが来る、いや来ない、いや来る、いや来ない。私は脳内で花占いを始めた。

 

  深夜の長旅を推しと共に過ごせるのはとても幸せなことであることを私は知っている。だからこそ、共に過ごせない寂しさも同時に知っている。隣の席には予約した乗客が予定通り座っている。心なしか彼女は嬉しそうに見える。きっとそうやって、彼女は彼女なりに「推し」に出会うことになるのだろう。

 

  バスのアナウンスがして、ドアを閉めるための空気音が聞こえた。

アンダー・ザ・アンバー

「この喫茶店は、昔教会だったところを改築したんだよ」
  以前に悟史はそう聞いたことがあるのを思い出した。蔦が絡み付いたレンガ造りの建物は、悟史のイメージする純白色の教会とは異なっていたため、その話を聞いた時はピンとは来なかった。しかし、店内で椅子に腰掛け、何の気無しに天井を見上げると、色とりどりのスタンドグラスが見えた。それで、以前に聞いたその話をようやく悟史は納得したし、だとしたら、人間が死ぬことについて考えるには悪くない場所だと思った。気持ちの持って行き場の無い今は、この場所がとてもありがたかった。
 

「水琥珀、お待たせいたしました」
  カウンターに座り天井を見上げていた悟史の前に、マスターが水琥珀を差し出した。「水琥珀」というのは、この喫茶店「グダンスク」名物のメニューで、一言で言えばアイスコーヒーである。ただ普通のアイスコーヒーと違うのは、球体型に近いガラスのコップの中に、こちらも大きな球体の氷が入っており、その氷を取り囲むように15時間かけて水出しされた濃いめのアイスコーヒーが入っていることだ。暑い日にぐいと一気に飲み干すのではなく、少し口が寂しく、それでいて口の好みがうるさい客向けのコーヒーだ。このコーヒーは、ウイスキーよろしくマドラーを回して氷をカラカラと鳴らしながら、一口一口ちびりちびりと飲むコーヒーである。
  悟史は口の好みがうるさいわけではなかったが、口が寂しい時に飲むコーヒーとして水琥珀が好きだった。何より、この大きな氷が溶けて無くなるまでは水琥珀を飲むためにここにいられるので、しばらく居座る理由ができる。今の悟史にとっては、それが何よりありがたかった。
 

  一口飲んでアイスコーヒーの濃さを確認すると、悟史はすぐにマドラーを回してカラカラと氷を鳴らし始めた。マスターが洗ったコップを布で拭くキュッキュという摩擦音、悟史が氷を溶かしてマドラーとコップが触れ合いカラカラとなる音、外で雨が少し激しく地面と屋根をバタバタと打つ音。今、世界にはそれ以外何も存在しない。そうだと確認するように悟史はマドラーを回し続けた。世界が3つの音だけでしか構成されない世界は、居心地が良いわけではない。だが、静かだ。悟史は静かな世界が欲しかった。
 

 

「お父さん、今日は唐揚げがいい」
「授業参観恥ずかしいから来ないで」
  1人になりたいと思ったことは無い。一馬との2人暮らしは、毎日仕事との折り合いを着けられない苦労が続いた。わがままを言うなと一馬を怒鳴りつけたことも、それを反省したことも何度もあった。だが、一馬と離れるという想像は一度もしたことがない。
「どうしてお母さんは死んじゃったの?」
  昨日、悟史は一馬からそう聞かれた。一馬が修学旅行へ行く前の日だ。病気で死んじゃったと答えたが、あまり正確ではない。一馬はふーんと納得したようだったが、どれだけ納得したかはよくわからない。一馬に答えたあとで、いまだに自分は日菜子が死んだことに納得していないのだと、悟史は思った。
 
  日菜子の死因は大動脈解離。車を運転中に突然痛い痛いと苦しみ出し、救急車で運ばれて病院に到着したときにはすでに亡くなっていた。悟史は、病院で日菜子の顔を見ながら、そう説明を聞いた。
  悟史は、日菜子の会社の部下である石田が見せた沈痛な表情を思い出していた。
「私がしっかりしておらず、申し訳ありません……」
  日菜子が大動脈解離を起こしたのは、取引先に2人でお詫びに行った日の帰り道のことだった。当たり前だが、石田には何の責任もない。大動脈解離は石田が仕事でやらかしたかどうかには、何の関係もない。いつ死ぬかは変わらない。どこで死ぬかが変わるだけだ。
  じゃあ、なんで日菜子は死んだんだ?
  「なんでだよ……」
  大動脈解離が起こったから。悟史はそんな理由で日菜子の死を丸められてしまうことに納得がいかなかった。
   なんで死んだんだ、なんで死んだんだ。


 
  いまだに決着が付いていなくて引きずられているんだな……。
  頭の中でそんなことを考えながら、悟史はマドラーを回し続けた。マドラーのカラカラという音は、だんだん高くなっていった。
 
  悟史はマドラーを止めてコーヒーをちびちび飲んだ。日菜子が死んだ日の事を思い返してはちびちび飲み、一馬を叱りつけた後の気まずさを思い返してはちびちび飲み、一馬の質問に空疎な答えを返したことを思い返してはちびちび飲んだ。
  悟史は急に馬鹿らしいと苛立ちを覚えてコップを掴み、中にある水琥珀を一気にぐいっと飲み干した。まだ薄まり切っていないコーヒーの苦味と、底に溜まっていたガムシロップの甘さが口の中で混ざりあった。コップにはまだ氷が3割ほど残っていて、球体を維持していた。まだ氷は悟史の口に含むには大き過ぎた。悟史はしばらく氷からわずかに溶け出した水を喉に送ってから、氷を口に含むのを諦めてテーブルにコップをトンと静かに置いた。
 
「もう一杯、要りますか?」
  マスターが声をかけてきた。悟史は少し驚いて、「結構です」と答えた。もう一杯おかわりをして、ここに留まることに、なんだか決まりの悪さを感じていた。水琥珀の氷を溶かしてコーヒーを飲んだ。氷はまだ残っているが、コーヒーを飲み干したのだから、もうそれでいい。
「ごちそうさまでした」
  悟史はマスターに声をかけて勘定を済ませた。ガッチャンとレジスターの古めかしい機械音が鳴り、ジーという大きな音を立ててレシートが印刷された。こんなに古いレジスターだったっけ、と思いながら、悟史は今までレジスターにまったく気を遣っていなかったことに気付いた。今更気付いたことに悟史は苦笑いをしながら、お釣りとレシートを財布に入れた。


 
  木製のドアを開けると、雨が屋根を穿つ音が大きくなった。車の往来も比較的多く、タイヤがびしゃりと水溜りを跳ねていた。靴をあまり濡らしたくはないが、諦めるしかなさそうだと悟史は思った。帰ったらちゃんと手入れをしようと思いながら、悟史は立て掛けてあったチャコールグレーの傘を手に取って開いた。心なしか、いつもより勢い良く開いた気がした。

【KRPTストーリー創作】 リビルド(再構築) -後編-

【Day2/stage4】

  レイディアントクオーツと呼ばれる15個のクオーツ。クオーツの内側にさらに小さいクオーツを含む多重構造になっているクオーツ。これまで通常のクオーツとの違いが明らかになっていなかったが、研究の結果、オートマトンに転用することでオートマトンが何らかの特殊な力を持つことが明らかになっていた。ただし、どのような力が発現するかは研究ではまだ答えは出ておらず、そしてレイディアントクオーツを埋め込まれたオートマトン自身にもわからなかった。どのような能力なのかは、オートマトン自身が発見するしかなかった。

  また、15個のレイディアントクオーツが合わさることで巨大な一つの「意思」となり世界を統一することができる。

 

 

  南京錠でロックされていた部屋で見つけた、研究の断片と思われる論文、メモの切れ端、ディスプレイに映っていた何がしかの研究結果。得られた情報を元にdaiは演算を開始した。その結果、daiはレイディアントクオーツと呼ばれるものの特徴、そしてそれが自分自身に埋め込まれていることを突き止めた。

  もっとも、得られた情報には研究途上の内容も含まれており、演算結果は100%の精度を保証するものではなかった。しかしdaiの体験も含めて総合的に検証してみると、辻褄の合うことが多く、十分信頼できる演算結果だとdaiは考えていた。これまで人狼協定を共に戦った仲間に何かシンパシーのようなものを直感的に感じたこと、自分の情報整理能力が明らかに他の軍用オートマトンよりも遥かに優れていて、自分がオートマトンなのにも関わらず軍が幹部候補生として迎え入れてくれていること。

  daiは確信した。

  ペルセウス砲の鍵となるのはdai自身、そして残りの14体のレイディアントクオーツを埋め込まれたオートマトンなのだと。

 

  これに気付いているのは、おそらくまだ僕だけだ。だとしたら、僕が止めるしかない。

  人狼協定が始まった。daiは宣誓をした。

「帝国が恐れているのは、人狼だけではない。この僕の存在だ。僕が寝返れば、帝国は劣勢に追い込まれる。この戦いに巻き込むことで、あわよくば僕も葬り去ろうとしている。僕は人類の為に戦うけれど、帝国の言いなりにもならない。必ず生きて帰る!!」
 

 

 

  (くそ、人狼が最初に僕を石にするなんて…!)

  daiは自分の宣誓を後悔した。「自分だけが真相を知っている」と思い込んでいた。真相を知っているのが人狼陣営にいるかもしれないという可能性を、こんなところで見落とすとは思わなかった。万が一、他に真相を知る者がいた場合の宣誓としては、明らかに浅はかだった。

 

「人々を納得させるのに、何が必要なのかわかるかね?」

「力ですか」

「力で人は従うかも知れんが、納得はしない。物語だよ。物語に人は従うんだ」

「物語…ですか」

「古今東西、人々は物語によって生きてきた。神話も宗教も、物語を紡ぎ、人々はその物語を信じて生きてきた。人々は物語を聞き、感動し、そして従う。それが虚構かどうか -いや、虚構であればあるほど、効果は高い。信じる余地がそれだけ生まれるのだからね」

「物語…ですか」

  部下は言葉を繰り返して頷いたが、理解をしていない事は彼の目から読み取れた。

「もうすぐクオーツが15個揃う。後は物語を作るだけだ」

上官が少し誇らしげに、レイディアントクオーツを見やりながら部下に告げた。

「しかしその物語はどうやって作るんですか」

「物語を作るのが得意なやつに作らせる。それが一番確実だ」

「得意なやつ?」

「要するに」

一呼吸置いて、上官は言った。

「普段から戯曲や小説を書いてるような奴のことだよ」

 

  (上官たちの言葉が変わっている!!)

  daiはこれまでとは違う世界に来たのだと気付いた。これまでの世界で得た情報をもとに、上官たちに気付かれないよう演算をした。

  演算が終了し、daiはペルセウス砲が放たれてしまう条件を突き止めた。

  • daiのクオーツが軍の手に渡ってしまうこと
  • タウンが物語を書き続けること

 

(タウンの物語が、軍に使われるだと…!!!)

  daiは演算結果を信じたくなかった。しかし、daiのレイディアントクオーツは、タウンが物語を書き続けることがペルセウス砲のトリガーになることを示していた。

 

  ペルセウス砲を止めるための方法は、タウンが物語を書くことを防ぐこと。しかし、あのタウンが脚本を書くことを止めることは考えられなかった。確かにタウンは年がら年中グダグダ理由をつけては書くことをサボるが、書くこと自体を「止めた」ことは無い。そもそも、タウンは脚本を書くこと以外はからっきしだから、脚本を書くのを止めさせるのは、タウンに死ねと言うことに等しかった。

  (流石に大袈裟過ぎるか…)

  daiはそう思ったが、その想像が頭から離れず、他に有効な手段も思いつかなかったので、止む無く演算を行い、タウンが脚本を書くのを確実に止めさせる方法を確認した。

 

 

  レイディアントクオーツは「タウンを石にすること」と告げた。

 

 

  そして、ペルセウス砲は火を噴いた。

 

【Day1/stage5】 

  次世代アイギス砲の噂は本当だった。「レイディアントクオーツ」を持つオートマトンが、存在する。彼らのクオーツは月光石ではないが、通常のクオーツとも違うものだ。そしてレイディアントクオーツの力は解明されておらず、場合によっては世界を破壊する世界を変えてしまう力すらある。ただし、どのように世界を変えるかは明らかになっていない。

   帝国とコミューンどちらが覇権を握るのかを決定するために、戦いに赴くオートマトンと人間。しかし、その真の目的は帝国軍がレイディアントクオーツを集めること。そのレイディアントクオーツは、次世代アイギス砲「ペルセウス砲」となり世界を恐怖で支配する。

 

 

  こういう設定、プロットを書いたことがある気がする。もし間違いが無ければ、これから自分が赴く戦いは、帝国がレイディアントクオーツを集めるための茶番ということになる。そして、レイディアントクオーツが結晶となり、ペルセウス砲になる。

  そのレイディアントクオーツを、daiが持っているとしたら。daiがペルセウス砲の演算を行う中央回路として生き続けるとしたら。

 自分は、その物語を書いたことがあるのかもしれない。だとしたら、これは私の責任だ。責任を持ってペルセウス砲が生まれるのを阻止しないといけない。

  少なくとも帝国に覇権を握らせていはいけない。表向きは帝国として参加したが、それでは駄目だ。帝国には負けてもらわないといけない。そして、鍵になるのはレイディアントクオーツだ。だが、帝国が負けたとしても、レイディアントクオーツを手に入れてしまえば、結局ペルセウス砲は生まれてしまう。帝国がレイディアントクオーツを入手することも阻止しないといけない。

 

 

  オートマトンは石になるとクオーツも含めて活動を停止する。

  だとしたら。daiを石にしないと、もうペルセウス砲は防げないのかもしれない。

 

  タウンはdaiを石にする決意をした。

  しかしタウンは、daiのレイディアントクオーツは、唯一石化しても生き続けられることを知らなかった。

 

 

「頼む!!daiを石にしてくれぇぇ!!」

タウンはゆうはの足元にすがりながら懇願した。

「あやつを、あやつを石にしないと、次世代アイギス砲が……!!!」

『狂人』として人狼協定に参加したタウンは、敗北した。タウン自身は生存しているが、人狼陣営が負けてしまったので負けである。また敗北陣営はパートナーも含めて石化されてしまうが、狂人の場合はパートナーはお咎めなしのため、石化されるのはタウンだけだった。

「わしはもう石になっても構わんから…!!あいつをどうか…!!」

「落ち着いてください、タウンさん!」

  ゆうは達がタウンを諭すが、タウンの耳には届いていなかった。

(駄目なんじゃ…石にしないと…)

タウンはいつまでも顔を伏せて泣きじゃくっていた。

 

 

(タウンが僕を石にしようとしていた…?)

  daiはクロノステラから届いた一通の電報を読んでいた。人間陣営が勝利したこと、敗北した人狼陣営が石化されたこと、そして狂人として生存敗北したタウンは、daiを石にしようとする望みを持ちながら石化されたこと。

 

(どうして僕を石にしようとしたんだよ…)

  daiは自分の守りたいものが足元から崩れていく感覚に襲われた。

 

 

 

  そして、ペルセウス砲は火を噴いた。

 

 

 【Day2/stage5】

「全ての投票は終了しました。投票の結果、本日処刑されるのは、dai」

3日目の投票終了を告げるアナウンスが会場に流れた。daiは満票を意味するバラを手に取りながら、静かに心の中で快哉を叫んでいた。

  (これでいい。キキが予言者として信じられていれば勝てる。まさか僕が狂人で本物の狩人が初日にいなくなっているなんてわからないだろう)

  daiはアイギス砲の照射が行われる地点に立ちながら、今度こそ本当に戦いが終わることを願った。きっとこのまま、最後の人狼が見つからないまま人間陣営は混乱するのだろう。

  彼らに恨みがあったわけでない。きっと彼らも自分のために、そして自分のパートナーのために懸命に戦っているのだろう。しかし、考えが違うものを追放し続けた結果、人間・帝国は未来を失うのだ。考えが違うからと言って排除ばかりしていては、キリがないしすぐに壁にぶつかる。

  タウンと過ごす中で演算の精度が上がったのかもしれない、とdaiはふと思った。初めから彼とはぶつかってばかりだった。やることなすこと考えること、あらゆることが違いすぎた。しかし、それでもタウンの脚本は素晴らしかったし、自分自身のプロデュースも間違っていなかった。お互い違っていたからこそ、なし得た成果だ。

  でも、これで終わりだ。コミューンが覇権を獲って、オートマトンが嘘をつける世界になる。そして、タウンを石にする。

  僕は帝国の言いなりにならない。

 

 

  クオーツの埋まっていないからくり人形にプログラミングをしている時、もし自分にクオーツが無かったら、と考えたことがある。クオーツのないオートマトンは、役割が与えられて、タウンの物語に沿って動く。プログラミングした通りに、タウンの筋書き通りにしか動かないけど、オートマトンが操られている感じを覚えたことは一度もない。どのオートマトンも生き生きして、自分の「人生」を生きているようにすら見えた。

   もし、オートマトンが自由に嘘をつける世界が来たら、それはどんな世界なのだろう。観劇しながらそんな妄想に浸ったことがある。きっとその世界は、オートマトンも人間のように、あらゆるものになれる。音楽家、曲芸師、軍人、学生、家庭教師、空賊、皇太子、皇妃、悪魔、天使、神様。

  オートマトンはどんな嘘もつける。どんなものにもなれる。

  嘘が、オートマトンの世界を広げるんだ。

 

  もしオートマトンも嘘をつくことができたら、その時は、僕はタウンの物語に出られるのだろうか。

 

 

 

  そして、ペルセウス砲は火を噴いた。

 

 

【Day2/stage2】

「ありがとうございます。ちゃんとよこを残してくれたんだね。じゃあ、そんなみんなに朗報でーす!」

  紫の和装をしたオートマトン『よこ』が、昨日までの泣き腫らした姿とはうって変わった明るい調子で、『かわやん』『もののふ』『ゆうは』に呼びかけた。

 

「幸福のオートマトン、その実態は・・・時を巻き戻す機械がついているからくり人形!」

  この場にいる唯一の人間(帝国側)の陣営であるよこの話に、人狼(コミューン)陣営の三人は信じられないという顔をした。

「時間を戻す…?」

「そんなことがありえるのか…!?」

「初めて聞いたぞ、そんなこと」

  よこのクオーツは月光石ではない以上、よこの言っていることは嘘ではない。しかし、そんな非現実的なことが可能だとは三人とも信じられなかった。

「私のマスターは、みーんな、この力を使って過去の自分を変えてきた。だから幸福になったの!」

  顔を強張らせたまま話を聞くかわやんに、よこは向き合い話した。

「誰かが幸福になったら誰かが不幸になる。…そういうもんなんだよ」

「…じゃあ、ズミも救えるんじゃないか…?」

  かわやんがすがるように呟いた。 

  よこの話が本当なら、力が足りなくて起こってしまった出来事も、力が足りないことで、自分たちを責めることも「無かったこと」にできるのだろうか。

「もし三人が本当に、この戦争が少しでも過ちがあったと思ってるなら」

  よこは太陽の光が射す人狼協定会場の真ん中へ歩き、ここが世界の中心であるというかのように立ち、

「これ、押してくれない?」

  よこは胸のクオーツを突き出した。三人はそのクオーツをじっと見つめた。よこのクオーツ少し赤みがかっていて、乱反射した中の光ををじっと見つめていると色が変わっていくような錯覚を覚えた。

「一つ質問なんだが」

  もののふがよこに尋ねた。

「今の記憶は保持されるのか?」

「どうだろう?よこはマスターたちを過去に飛ばしただけだから、よこにはわからないなー」

  もののふは、明確な答えが返ってこなかったことに少し落胆した。

「ただ」

  そんなもののふを知ってか知らずか、よこは続けた。

「あのかわやんの、あの事件を無かったことにできるかもしれないよ。そうすれば、この戦争だって起こらない!」

「…俺はアイヴィーが救えたら何でも良い。あいつは月光石なんか入っていなかった!」

  その言葉がかわやんたちを決意させた。

 

 

「ちえみちゃん、ごめんねー。ちえみちゃんにはさ、言わなかった。聞かれ無かったからさ。嘘じゃないよ」

  会場の外に向かって、よこは顎を伸ばしたりしておどけてみせた。

   せめて、この戦いがカメラで中継されていて、今の私がちえみちゃんに届きますように。ちえみちゃんがこれを見て少しでも笑ってくれますように。

  そうしないと、カメラの向こうにいるであろう、ちえみが泣いてしまいそうで、よこは耐えられなかった。

 

「正義ってなんだと思いますか?」

「…わからん」

  この場にいる誰にも、正義が何か分からなかった。だから、全員が正義を求めてあがき続けていた。

 

「だが、死んでいった皆のためにも」

  かわやんは一呼吸置いて、話した。

「このクオーツは押すべきだと思う」

「…押しますか」

  ゆうはがもののふとかわやんに聞いた。最後の確認であり、後押しをしてもらうための質問だった。もののふもかわやんも答えなかった。

 

  ゆうはは、よこのクオーツを押した。

  よこが少し微笑み、頭を下げて動きを停止した。

 

 

【Day2/stage3】

「勝ったぞ」

 

  戦いを終えたタウンはdaiに短くそう告げると、カバンを机に置き原稿用紙を取り出し、胡座をかいて胸元から万年筆を取りだした。2・3回深く呼吸をし、目を閉じて10秒ぐらい瞑想を行うと、カッと目を見開き勢いよく万年筆を手に取り、原稿を書き始めた。

 

  (どうしたタウン…?) 

  原稿に集中しているタウンは、髪が逆立ち文字通り鬼のような形相になることがある。今のタウンはまさにその鬼のような形相だった。締切まではまだ期間があるにもかかわらず、タウンが鬼の形相をしながら原稿を書くのは、(大抵は締切直前か直後のどちらかなので)大変珍しいことだった。とはいえ、daiにとっては早めに原稿を書いてくれることは有り難かった。

  (人間が人狼だけを処刑して勝ったんだよね…?)

  daiは人狼協定事務局から、人間が人狼3匹だけを処刑して勝ったと聞いている。いわゆるパーフェクトゲームに近い形だ。また、戦いではタウンが議論をリードし、投票も全て人狼に投票していたとも聞いている。daiとタウンはどちらが人狼協定で参加するかで揉めた。あれだけ揉めた上で完璧に近い結果を出したのだから、タウンは戻ってきたらドヤ顔でうるさいくらいにアピールしてくるとdaiは予想していた。なので、自慢を一切せずに原稿を書いているタウンの姿は、daiにとっては予想外だった。

  daiは返ってくる答えを予想した上でタウンに尋ねてみた。

「人道協定の話、詳しく聞かせてくれない?」

「悪いが後にしてくれ」

  タウンはdaiをあしらった。

 

  (やっぱりな。まぁいいや、原稿書き終わったら詳しく聞こう)

  原稿を書いている最中はいつ何時も、割り込みタスクを発生させないようにする。今度はdaiの予想通りのタウンだった。いつもと何かが違うタウンの様子に気がかりなところはあったが、原稿をきっちり書いてくれるのはdaiにとっては都合が良かった。daiは原稿を書き続けるタウンを邪魔しないよう、執務室を静かに後にした。

 

 

  もし、自分の書いた物語が世界の命運を左右するのだとしたら、どんな展開、結末を書けばペルセウス砲を防ぐことができるのだろう。

  正確な答えはわからなかった。しかし、それでも書き続ければ何かが見えてくるという確信をタウンは持っていた。きっとこの世界には数多の物語があって、ペルセウス砲が火を噴かない物語がどこかにある。だとしたら、自分でその物語を作って辿り着けばいいだけだ。

  タウンは筆を走らせ続けた。

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 「帝国が恐れているのは、人狼だけではない。この僕の存在だ。僕が寝返れば、帝国は劣勢に追い込まれる。この戦いに巻き込むことで、あわよくば僕も葬り去ろうとしている。僕は人類の為に戦うけれど、帝国の言いなりにもならない。必ず生きて帰る!!」

 daiは力強く宣誓した。人類のため、オートマトンのため、パートナーのための戦いだった。

  帝国の言いなりには絶対にならない。

 その瞬間だけは、思想の違う13人の想いが一つになった。

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ーそして、また物語が始まるー

 

-リビルド(再構築)  完-

 

 

 

 

  ふう、とタウンは大きく息を吐いた。着地点が定まらずになかなか書けなかった次の舞台の脚本がやっと書き上がり、タウンは両腕を大きく上に伸ばした。正確には推敲作業がまだ残っているが、後は細かい誤字脱字程度の直しだけで済むだろう。ギリギリになってしまったが、それでも開演までには間に合いそうだ。

  缶詰生活もこれで終わりだと思うと、少し名残惜しくもあった。自分へのご褒美としてカフェで一服することぐらいは許されるだろうとタウンは思い、ホテルのラウンジへ向かった。

 

  ラウンジは程々に混雑しており、一服するにはちょうど良かった。空き過ぎていてもきまりが悪いし、混雑していたら待っている客を気にしなければならず落ち着かない。適度に空席があって、少し遠いところにいる客を観察できるくらいがちょうど良い。

  タウンはウェイターが運んできたダージリンティーを飲みながら、客の観察を始めた。執筆が終わった時に、カフェやバーで客の観察をするのはタウンの習慣になっていた。物語を書き終えた直後に人間やオートマトンのストックをしておく。そうすることで、次回作の登場人物や物語の手がかりになる。タウンはラウンジをぐるりと見回した。

  すると、ラウンジから少し離れたところに一体のオートマトンが居た。そのオートマトンを見て、タウンは違和感を覚えた。ホテルという場所に合わせてスーツこそ着ているが、頬の傷と殺気が残る眼は、明らかに戦場にいるべきオートマトンのそれだったからだ。
(あれは軍用ではないのか…?どうしてあんなオートマトンがここに?)
  タウンの疑問は、ほどなく解消された。その軍用オートマトンが自分に向かって来たからだ。

「脚本家タウン。間違いないな?」

  目の前のオートマトンが呼びかけた。少し気圧されつつ、タウンは答えた。 

「なんじゃいお主は」

 

ーそして、また物語が始まるー

【KRPTストーリー創作】 リビルド(再構築) -中編-

【Day1/Stage1】

  嘘は薬だ。

  過度に服用したら身を滅ぼす。特に取扱には注意しなければならない類の嘘もある。そして、きちんと使うことで自分を、他人を助けることができる。

  オートマトンに薬を使わせるべきか?使わせるべきに決まっている。オートマトンに嘘をつかせれば、時には人間以上に嘘をうまく使い、嘘の可能性を広げてくれるだろう。

  だから、タウンはオートマトンに嘘をつかせるコミューン側の思想に共感した。

 

「しかし、びっくりしたわい。まさかdai以外にも軍用オートマトンが他の用途に使われとるとは。『なゆた』…じゃったかな。音楽を奏でるオートマトン、か」

「軍用のオートマトンの転用は珍しいが、無いわけじゃない。医療に介護・土木工事、軍事技術が活かせる分野は多いからな。もっとも音楽は流石に初めて聞いた」

  はははと笑いながらズバイク卿は淹れたての紅茶を口にした。ジャケットを脱いだ姿が、人狼協定の時とは違う温厚な雰囲気に一役買っていた。

「改めて、今回の協定は助かった。例を言う」

「いや、わしらこそじゃ。ズパイク卿があの時霊媒と騙ってくれなければ、逆転されるところじゃった」

  三人の人間を処刑し、最後は人狼と狂人が、いわゆるパワープレイと呼ばれる状態で勝った。人狼陣営の完勝と言って良い。そんな人狼協定を終えたタウンとズパイク卿は、帰りの飛空艇を待つ間の控室で紅茶を飲みながら語り合っていた。オートマトンに嘘をつかせるべきというタウンと、オートマトンとのよりよい共存を望むズパイク。人狼協定で同じ思想を持つことが確認できているので、打ち解けるのに時間はかからず、空賊と皇太子という立場の違いは障壁にならなかった。

「とはいえ、大変になるのはこれからだが」

「これから…まあ、確かにそうじゃな」

  人狼協定で人狼、つまりコミューン側が勝ったとはいえ、この戦乱が即座に収まるとは二人とも思っていなかった。大勢の決着はついても、反発する勢力はまだ残っている。

「戦乱を収める方法があればいいんじゃがの」

  口に出した瞬間、タウンは空賊仲間のメンの言葉を思い出した。

 「次世代アイギス砲」の噂が本当なのだろうか?本当だとしたら、ズパイク卿が一枚噛んでいる可能性は高い。

  タウンは少しの出来心から、試しにカマをかけてみた。

「例えば ーどこからでも狙ったところにアイギスの光を浴びせられるような兵器があれば、一発じゃろうな」

  ズパイク卿の顔色を確認しようとしていることを悟られないように、あくまで空想だとでもいうようにタウンは明後日の方向を見ながら言った、つもりだった。ズパイク卿は、不意に浴びされた流言をのらりくらりと躱すには若過ぎた。はっ、とした顔をしたかと思うと、鋭い目つきでタウンを睨みつけた。だからタウンは、自分の企みが予想以上に成功『してしまった』ことを知った。

 

「まさか…本当に作っとるのか?」

  ズパイク卿は沈黙で答えた。肯定とほぼ同義だった。タウンは身の危険を覚悟した。次世代アイギス砲は曲がりなりにも軍の機密情報だ。それを知ってて明らかにするリスクを持つ人物がいたとしたら、軍に消されたとしてもおかしくない。タウンは腹を決めてズパイク卿に語りかけた。

「…せめて、何を目指しているのか、それだけは話してくれんか?冥土の土産にしたい」

「冥土の土産?」

「偶然とはいえ、わしは軍の機密情報を知ってしまった。軍がそんな民間人を生かしとくとは思えん」

「公表する気か!?」

「いいや、公表する気は全く無い。そもそも詳細を知らんし、公表したところでただの与太話としか思われんじゃろ。じゃが」

  タウンは紅茶を一口飲んで、ズパイクに言った。

「お主がそんな危険を冒してまで、何を目指そうとしているのか。それだけは聞きたいんじゃ」

「…私は、別に人を殺したいわけではない」

  ズパイク卿は言葉を選びながら言った。言質を取られるのを避けるため、ではなく、眼の前の和装姿の男に、どうやったら正確に伝わるかを考えた結果だった。

  「人間とオートマトンはどうやったらより良い共存ができるのか。少なくとも帝国の思想では、オートマトンとの共存には限界がある。オートマトンだけではなく、人類にとってもだ。『オートマトンには嘘をつかせるべきではない。オートマトンのような機械人形に何ができる』。全く賛同できない」

 ズパイク卿の口調に少しずつ熱がこもっていった。

  「オートマトンには心がある、私はそう信じている。しかし、今の帝国の政策はオートマトンに歪みを与え続けることにしかならない。オートマトンに嘘をつかせない事は、本当の心を与えていることか?…私はオートマトンに本当の心を与えたい。オートマトンと人間は、心と心のつながりを持てるはずだ」

  ズパイク卿は自分の熱を冷ますかのように、すでに冷えた紅茶を一口飲んだ。

 

  しばらくの間、沈黙が場を支配した。沈黙を破ったのはタウンだった。 

「その理想には、どこからでも攻撃できる兵器が必要、ということか?」

  タウンはズパイク卿の理念自体には共感を覚えた。だからこそ、次世代アイギス砲について問い正したかった。共感は人々を行動させるための強い武器だ。理念と共感は人を勇気づけ歩みを強めることを、そして過度の共感は共感以外のものを -時には理念そのものすら- 破壊し尽くして進む。

「多くの血を流れ、石を積み上げるたとしても、お主は理念のために…」

「撃たせない」

  ズパイク卿はタウンの言葉を遮った。

「何かあったらアイギスを撃つ。そう言うだけでいい。実際に撃たなくても撃つのと同じくらいの効果がある」

「抑止力ということか」

「そう捉えて構わない。この戦乱を一日でも早く終わらせ、人類とオートマトンの共存を目指す」

「…それが本当に目的か?」  

「そうだ」

  ズパイクは正面から答えた。人狼協定の時とは違う雰囲気を纏っていた。

「…嘘はついておらんようじゃな」

「もう嘘をつく必要なんかない。そのためにここまで戦ってきたんだ」

「わかった」

  タウンは乾いた喉を潤すため、すっかり冷えた紅茶を飲み干した。

「…忘れんでくれ。行き過ぎた力は、必ずお主、いや…人間もオートマトンも制御できない力になる」

  ズパイクは沈黙を保った。肯定なのか否定なのか、タウンには判別がつかなかった。

 

 

【Day2/Stage1】

「ズパイク卿が石になったか」

  軍服を着た男が少し安堵した様子で、石化されたオートマトンdaiを眺めながら呟いた。

「こういう言い方をしてはなんですが、ありがたいですね」

「言葉に気を付けろ」

  男は部下を嗜めて、

「こういうんだ。『惜しい人を亡くしました』」

  必要以上に慇懃な調子で、わかったかとでも言うような表情を部下にしてみせた。実際には都合が良いことと考えているのは、誰の目からも明らかだった。

「ありがたいことに、dai もこんな形で手に入るとは思いませんでしたね」

上官に叱られた部下も、上司を真似するようにdaiを見た。

「レイディアントクオーツか…」

上官はdaiの胸元にあるクオーツをじっと見た。

「見た感じ、他のクオーツと何も変わらんな」

「これがペルセウス砲になるのですか」

「これだけでは足りないがな」

  2人はdaiのクオーツを見つめながら言葉を交わした。

「あとどれくらいのレイディアントクオーツが必要なんですか?」

「総数はわかっていないが、おそらく15だ。人狼協定に参加した、パートナーも含めて13体と、あといくつか…」

「とりあえず、9つは手に入りましたね」

「十分だ。…そろそろ時間だ、準備をするぞ」

「かしこまりました」

  2人はdaiをもう一度見つめ、かつての人狼協定会場を後にした。

 

(ペルセウス砲だって…?)

  軍役についていた頃、次世代アイギス砲の話は少しだけ聞いたことがあった。正確な名称は知らなかったが、二人が話していた「ペルセウス砲」がおそらくそれなのだろう、とdaiは当たりをつけた。ペルセウス砲は特殊なクオーツが必要で、そのクオーツを集めることが現実的でないため実現はされないだろう、という当時の見解を思い出した。

  (軍は、ペルセウス砲を本気で作ろうとしているのか…) 

  daiの背筋に、ぞっとした感覚が走った。それは完成した時に起こり得る惨劇をイメージした恐怖と、完成に向けての好奇心からなる面白さが入り混じったものだった。2つの感覚のうち、わずかに恐怖が勝った。
(ペルセウス砲の開発をどうやったら止められる?考えろ、考えるんだ)

   daiは胸のクオーツに意識を集中させ、実のある結論を出そうと演算を続けた。しかし演算を続けたところで、石になった体では意識があっても意思を伝えることもできなければ、身体を動かすこともできなかった。

(誰かに伝える方法は無いのか??)

(どうやったら身体を動かせる??)

  daiは演算を続けたが、いつまで経っても演算は終わらなかった。石になったdaiがペルセウス砲の開発を止める方法は、演算で導き出すには計算量が大き過ぎた。dai以外の人物がペルセウス砲を止める方法は突き止められたが、それを伝える方法を導き出すための演算も大き過ぎた。

 

 

そして、ペルセウス砲は火を噴いた。

 

 

 【Day1/Stage4】

「ズパイク卿が石になったか」

  軍服を着た男が少し安堵した様子で、石化されたオートマトンdaiを眺めながら呟いた。

「こういう言い方をしてはなんですが、ありがたいですね」

「言葉に気を付けろ」

  男は部下を嗜めて、

「こういうんだ。『惜しい人を亡くしました』」

  必要以上に慇懃な調子で、わかったかとでも言うような表情を部下にしてみせた。実際には都合が良いことと考えているのは、誰の目からも明らかだった。

「ありがたいことに、dai もこんな形で手に入るとは思いませんでしたね」

上官に叱られた部下も、上司を真似するようにdaiを見た。

「レイディアントクオーツか…」

上官はdaiの胸元にあるクオーツをじっと見た。

「見た感じ、他のクオーツと何も変わらんな」

「これがペルセウス砲になるのですか」

「これだけでは足りないがな」

  2人はdaiのクオーツを見つめながら言葉を交わした。

「あとどれくらいのレイディアントクオーツが必要なんですか?」

「総数はわかっていないが、おそらく15だ。人狼協定に参加した、パートナーも含めて13体と、あといくつか…」

「とりあえず、11個はは手に入りましたね」

「十分だ。…そろそろ時間だ、準備をするぞ」

「かしこまりました」

  2人はdaiをもう一度見つめ、かつての人狼協定会場を後にした。

 

  (デジャヴ…オートマトンにも起こりうるのか…?)

  daiは石化された体で、自分が感じた違和感の正体を必死に突き止めようとしていた。この光景はどこかで見たことがある。そう感じた瞬間、人狼協定をめぐる出来事に既視感があるように感じられた。人狼協定にどちらが出るかでタウンと揉めたこと、タウンが人狼協定で活躍して帰ってきたこと、自分が負けて石になったこと。しかし「自分が石になる」ことについてdaiが既視感を持つ理由はわからなかった。

  (僕のクオーツが必要だって言ってたよな…まさか、僕のクオーツがあいつらの言ってた「レイディアントクオーツ」なのか…?)

  daiは上官の言葉を思い出し、自分のクオーツに何かヒントは無いか、クオーツに意識を集中させて演算を始めた。すると、自分の意識が胸元のクオーツにすうと吸い込まれていく感覚に襲われた。

 daiは兵器工場に居た。

  (な、なんだここ!?)

  びっくりして叫びそうになったが、声が出なかった。その兵器工場には見覚えがあった。入隊する少し前に見学させられた兵器工場。ここでdaiは生まれたのだという上官からの説明。間違いなかった。daiが誕生した兵器工場だった。しかし、なぜ自分が突然こんなところにいるのか、daiにはわけが分からなかった。

  daiは視界をグルリと一周させて、一通りの状況を把握した。自分の手足が視界に入らず、手足を動かそうと思っても手応えがなく動かせないこと、しかし視界は前後左右に動かせるので「移動」はできること。

(よくわからないけど、思念体みたいな感じになってるってことかな)

  なぜこんな事になっているのかは分からなかったが、こうなっている理由よりも、工場を探索したほうが手がかりは掴めるとdaiは判断し、探索を開始した。ほどなく、手がかりは見つかった。工場の北側にある、同じようなドアが並ぶ「軍用オートマトントレーニングセンター」。一つだけ、巨大なダイヤル式の南京錠と鎖で塞がれたドアがあった。

  (露骨に怪しいな。謎を解くにはこれを解かないとダメってことか)

  しかし、daiがそう考えた瞬間、南京錠が大きな音を立てて真っ二つに割れ、扉を封鎖していた鎖が解け、バラバラと派手な音を立てて地面に落ちた。

(な、なんだ!?)

  daiはしばらく呆然と立ち尽くす -もっとも、思念体なのでじっとしていただけだが- 手がかりを探すために扉の中に入った。 

 

 

  そして、ペルセウス砲は火を噴いた。

 

 

   【Day1/Stage2】

「さすがじゃな。無事に帰って来たか」

  タウンは軽くため息をつきながら、人狼協定に勝利し帰還したdaiを迎え入れた。

「当然だよ。一つ一つ論理的に考えていけば難しい事は何もない。もっとも、いつ自分が人狼に襲撃されるかは注意を払わないといけなかったけどね」

  daiは少しほつれのできたデニムジャケットを脱ぐと近くの椅子に座り、ブラックコーヒーを飲んだ。オートマトンがブラックコーヒーを飲む姿は、オイルを補給するそれのようにも見えた。

「ともあれ無事に帰ってきてくれて良かったわい。しかし、コミューン側の奴らは何と言っとったんじゃ?」

「残念ながら面白い話は全くなかったよ」

daiは少しふてくされたように答えた。

「オートマトンにも嘘をつかせる自由を与えるべきという思想はあるけど、結局その嘘の質と影響が担保されるどうか、全然分からない。そもそも嘘をつかせることがオートマトンの自由とどういう風にリンクするのか、全然わからない。嘘をつかなくても自由なんて全然あるよ。僕は嘘なしでもやっていけるし」

  daiが嘘をつくことができれば、例えばわざと締切日を早くすることで進行を楽にするといったテクニックが使える。しかしそれをdaiに告げることに何のメリットもなかったので、タウンは黙ってdaiの話を聞いていた。

「それよりも」

「それよりも?」

「さっさとこの戦争を終わらせた方が良いよ」

  daiは、人狼協定の中で出会った「なゆた&ガド」と「ティラノ&モリブン」のことを思い出していた。

「タウン、確か次の脚本ってサーカス団が舞台じゃなかったっけ?」

「そうじゃが、それがどうかしたのか?」

「タウン、提案がある」

「何じゃぁ、改まって」

舞台に関して、脚本・演出はタウンが、それ以外はdaiが担当しており、お互いの仕事内容について相談する事はあまりなかった(だからというわけでもないが、タウンは遠慮なくdaiに原稿の書き直しを告げるし、daiはしぶしぶ受けれている)

「今度の舞台、クオーツを持ったオートマトンを入れない?」

「オートマトンを?どういう風の吹きまじゃ?」

  クオーツを持たないオートマトン -いわゆる「からくり人形」と言って良い- に素早くデータをインプットできるのは、daiの強みの1つだった。しかし、クオーツを持っているオートマトンは、意志があるのでインプット作業は必要ない、というよりできない。なぜかと訝しむタウンに対して、daiは続けた。

「娯楽は戦争で真っ先にダメージを受けることがよくわかった。でも娯楽と同じくらいダメージを受けるものはあるんだ。芸術だよ」

「ずいぶん殊勝なことを言うのぉ…」

  軍用オートマトンということもあるが、daiはあまり芸術や人文といったことに明るくは無いはずだった。そのdaiが「芸術」という言葉を出すことに不思議がりながらも、タウンは興味を持って続きを促した。

「『なゆた』という元軍用オートマトンの音楽家がいた。『モリブン』と言う曲芸師オートマトンがいた。芸術も、演劇以外の娯楽も、ダメージを受けていた。…今こそ力を合わせる時だ」

「お主も言うようになったのう。じゃが、仮にそいつらを舞台に出すとして、クオーツ持ちのオートマトンのメンテナンスとやらはどうする?わしはお主の面倒は見ることはできても、他のオートマトンは勝手がわからん。お手上げじゃ」 

「安心して良いよ。『もののふ』という優秀なオータスがいた。もののふに協力を頼んでみようと思う」

「受けてもらえるという、当てはあるのか?」

「この戦いを終わらせるためなら、手伝ってくれる」

  確信を持ってdaiはタウンに告げた。 

 

 「この世界はループしていて、15個のレイディアントクオーツが1つにまとまるために 動いている」

 

  daiは思念体となった自分が見た光景を思い出していた。南京錠のかかった部屋の中にあった巨大なモノリスに書かれたメッセージ。モノリスにアクセスした瞬間、これはdai自身が導き出した結論なのだということを知った。完全には納得しなかったが、自分が経験してないはずの「思念体となった光景」をなぜかすんなり思い出せたことを考えると、そのとおりだと考えざるを得なかった。

  だが、だとしたら「15個のレイディアントクオーツが1つにまとまる」とはどういうことなんだろう?ペルセウス砲を開発するためだけに、この人狼協定が行われている?daiは納得ができなかった。確かに自分は軍用オートマトンだが、それ以外の人狼協定に参加していたオートマトンは軍用オートマトンではないし、なゆたのように軍用オートマトンにも関わらず別の用途に使われるオートマトンもいる。軍用以外の多種多様なオートマトンが、凶悪な兵器であるペルセウス砲に集約される?

 

  少し考えた結果、daiは「レイディアントクオーツが1つになるのは、ペルセウス砲という形ではなく別の形で一つになるべき」という結論を出した。幸い、自分自身もタウンも、人狼協定を生き残ってまだ生きている。今までdaiが経験してた、ループしていた世界とは違う。戦いが終わったのだから、あるべき人をあるべき場所に配置する。そうすれば、人々は自分自身の力を発揮できる。そうすれば、戦争は終わり、ペルセウス砲も開発されないで済む。

  daiはそう信じて、芝居の計画書を書き始めた。

 

 

  そして、ペルセウス砲は火を噴いた。

 

 

 【Day1/Stage3】

「僕が出るべきだ」

「いや、わしが出るべきじゃ」

  10分ぐらい、daiとタウンは言い争いを続けていた。クロノステラ浮遊群島で行われる、帝国とコミューンの覇権を賭けた戦い、通称「人狼協定」。無作為に選ばれた人類とオートマトンの13組のパートナーに選ばれた二人は、どちらが人狼協定に出場するべきか、お互い譲らず言い争いを続けていた。

「ゲーム的に論理的な思考が必要になる。僕の方が適している」

「いいや、論理的思考力以上に人を信じる力、人を説得する力が必要になる。ストーリーが構築できないと人を説得することはできない。わしが出るべきじゃ」

  daiは自分を出して欲しいと必死に説得したが、タウンは一歩も譲らなかった。
(脚本以外のことで、なんでこんな頑なに譲らないんだ…?)

  daiにはタウンの考えていることがわからなかった。結局daiは根負けして、タウンが人狼協定に出ることを渋々承諾した。

「タウン」

「なんじゃい」

「…次回作の脚本が必要だ。必ず生きて帰ってよ」

「わかっとるわい、そんなこと」

 

 

「どうじゃぁ、恐れ入ったか!!」

  daiは人狼協定から意気揚々と帰ってきたタウンを苦々しげに見つめていた。

「確かに最初は疑われとった。しかしな、一つ一つ丁寧に言葉を紡いで、最後はきちんと信用を勝ち取って、人狼3匹を倒して勝利に導いたわい」

  はははとタウンは笑いながらdaiの肩をバンバンと勢いよく叩いた。

「ずいぶん調子に乗ってるね」

  露骨に嫌な顔しながらdaiはタウンの手を払った。タウンは手を払われても、どこ吹く風とばかりに高いテンションを保ちながら話を続けた。

「やっぱりわしが行って正解じゃったな。dai、脚本書くから外しとくれ」

「珍しいね」

  普段脚本が書けない書けないと言ってひたすら締切を引き延ばしているタウンから出た言葉とは思えず、daiは少し驚いてタウンを見た。

「言っちゃ悪いが、あれはドラマじゃ」

「ドラマ?人狼協定が?」

「人と人とが言葉を紡ぎ、時には疑い、時には信じて、1つの目的にたどり着く。これは、良いドラマが生まれるぞ。名作の予感じゃ」

「ふーん…まあいいけど」

  daiは原稿に集中してくれるなら、と執務室を後にした。

 

  (何かがおかしい…)

  タウンは戦いの最中から違和感を覚えていた。どちらが人狼協定に出るかでdaiと10分以上言い争っていたこと、人狼協定で帝国側に着いて戦ったこと。最初はただのデジャヴかと思っていたが、記憶を探ると、なぜかコミューン側として戦う自分自身の姿もありありと想起できた。

 

  (…この世界がループしている?)

  何の気なしに、そんな仮説を考えてみた。しかし、「世界がループしている」ことについて考えたところで、証明ができるとはタウンには思えなかった。

  (…いや。「世界がループしている」という発想は悪くない…)

  仮説の立証を止めたタウンが次に考えた事は、今の仮説を次の舞台の脚本の原案にすることだった。

 (…例えば主人公が世界がループしてることに気付いて、最悪の結末を止めるために動く…)

  原型が決まると、アイデアが次第に膨らんできた。まだ粗は多いし設定・キャラクターは固まっていないが、それは書きながら整形していけばよい。

(…いける!! )

  タウンは原稿用紙に万年筆を走らせていった。分量はまだまだ足りないが、書けば書くほどテーマがクリアになっていくのを感じた。

 

  この世界はループしていて、15個のレイディアントクオーツがペルセウス砲という兵器になるのを防ぐためにオートマトンたちがループする世界の中で戦う。登場人物のキャラクター設定や物語の背景などは、まさに自分が参加した人狼協定を参考にすればよい。

  タウンは自分のプロットに満足していた。

  久々に徹夜して一気に書き上げようと、タウンは一晩中原稿を書き続けた。

 

 

  そして、ペルセウス砲は火を噴いた。

 

【後編に続く】

【KRPTストーリー創作】 リビルド(再構築) -前編-

「なんじゃいお主は」

  ホテルのラウンジで原稿執筆の束の間の休息をとっていたタウンの元に静かに近づく一体のオートマトン。ホテルという場所に合わせてスーツこそ着ているが、頬の傷と殺気が残る眼は、明らかに戦場にいるべきオートマトンのそれだった。

「軍用オートマトンdaiだ。あんたの脚本はとても素晴らしい。が、それ以外のところが穴だらけだ」

「初対面にしてはとんだ口の利き方じゃな」

  タウンはただのオートマトンで無いことを見抜き少し及び腰になったが、舞台のことを悪く言われてカチンときた。タウンは舞台の出来の不十分さは自分でも自覚していただけに、余計に腹立ちが恐怖に勝った。しかし、そんなタウンの心理をよそにdaiは続けた。

「あんたに足りないのは脚本の実力以外。舞台、制作、進行、音響、諸々全部だ」

「要するに、わしが手がけた舞台はボロクソだと言いたいんか?」

「平たく言えば」

  タウンが顔の表情を怒りに変えたのを気にせず、daiは続けた。

「逆に言えば、そこをクリアすれば素晴らしい舞台になる。僕ならできる」

「は?」

「騙されたと思って僕にプロデュースをさせてくれ」

 「たいした自信じゃな。軍用のオートマトンのくせに、何をどうやって舞台をプロデュースするんじゃ?」

    予期せぬ申し出に面食らったが、恐怖心は薄れた。タウンの目は、舞台に対する何のビジョンも持ち合わせていない素人に対するそれになっていた。舞台はズブの素人が簡単に成功できる場所ではない。daiは舞台を舐めている。

「あるべき人間をあるべき場所に配置して、あるべき物をあるべき場所に配置する。軍事と一緒だよ。大方今は空賊稼業で手一杯だから、リソース配分に苦労してるんでしょ?」

  空賊稼業、という言葉にタウンは息を飲み込んだ。戦争が起きてから真っ先に削られるのは娯楽。タウンの舞台も例外ではなく、そもそも評判が芳しくない舞台にお金を出して見ようという観客はほとんどいない。結果、タウンは舞台の夢を意地だけで続けつつ、空賊稼業に手を出していた。何も持たない弱い者には手を出さないというポリシーは持っていたが、所詮は悪の中の細やかな善であり、免責されるものではない。密告されたら一巻の終わりだ。

「…そこまでわかってて、なんでわざわざ舞台に首を突っ込む?」

「面白そうだから」

  daiの回答にタウンは納得しなかった。理由は、daiの服装だった。
  軍用オートマトンに支給されるのは軍服と少々の平服ぐらいだ。わざわざスーツを買う軍用オートマトンがいるとは思えない。daiが着ているスーツが軍から支給されたものだとしたら、軍がスーツを支給する理由は1つ。軍がdaiを「スーツを着せるべき軍用オートマトン」と認識しているからだ。

「…お主、幹部候補生、場合によっちゃあそれ以上か。こんなのに首を突っ込んだら、出世を棒に振るぞ。なんでこんなもんに首を突っ込む?」

 『こんなもん』と無意識に自分を卑下していることに気付かずタウンは尋ねた。

「出世しなくても構わないよ。軍にはまだ面白いことがたくさんあるんだけど、君の脚本のほうがもっと面白そうだからね」

「軍の奴を入れるわけにはいかん。執筆と軍は相性が最悪じゃ。検閲でもされてみろ、脚本が死ぬぞ」

「じゃあ、僕が軍を退役すれば別に問題はないんじゃない?」

「問題はないな」

  軍用のオートマトンは軍事以外はからっきしだ。軍以外でできることのない軍用オートマトンが退役するわけがない。タウンは生返事を返した。

「わかった。退役する」

「そうか」

  daiの返事にうなずいたタウンは、一拍おいて気付き目を剥いた。

「退役するじゃと!?」

「退役する」

「あ…アホか!!」

「僕が軍を退役すれば問題はないとタウンは言った。つまり僕が退役すれば僕はタウンのプロデュースができる」

「待て待て、勝手に話を進めるな」

「問題は無いとタウンは言った。他に問題があるのならば何故言わない?」

 タウンは失言に気付いたが後の祭りだった。

「…わかった、確かにそうじゃな。じゃあ、退役したらまた来とくれ。こっちは原稿の締切が迫っとるから、すぐには返事ができん。お主じゃって退役はすぐにできんじゃろ?退役してから、話はそれからじゃ」

「……一理ある。退役手続を済ませてからまた来る」

「そうしとくれ」

  こういう時は、結論を先延ばしにするに限る。daiが立ち去ったの見届け、タウンは大きく溜息をついた。休憩をするためにラウンジに来たのに、執筆以上に疲れた気がした。

「フォンダンショコラ1つ。あと、ダージリンティーおかわり」

  タウンはウェイトレスを呼び、オーダーをした。甘いものを食べて心を落ち着かせないと、執筆活動に戻れそうになかった。

 

  2ヶ月後。

  daiが提出してきた「退役証明書」とdai本人を穴の開くほど見つめるタウンがいた。

「退役してきた」

  daiが提出した書類を裏返したり透かしたり筆跡を必死に鑑定したり軍に問い合わせをした結果、退役証明証が本物だとわかったタウンは頭を抱えた。

「オートマトンの考える事はさっぱりわからん…」

  結局タウンはdaiの熱意に負け、daiをプロデューサーとして迎え入れることにした。

 

  渋々daiを迎え入れたタウンだったが、次第にタウンはこの判断が正しかったと思うようになった。daiは軍の中でも際立っていた状況整理能力を活かし、舞台のプロデューサーとしてタウンをサポートした。daiのプロデュース能力は高く、スタッフの人員配置やスポンサーとの予算交渉、集客に関するアナウンスなど、 -並行してを空賊稼業を続けているにもかかわらず- 今まで足りなかったところが全て補われていった。舞台は成功し、客足も次第に増えていった。

「タウン、前売チケットが全公演完売したぞ。明日が公演初日だな。」

「dai、エピローグのセリフを書き換えた。締めのセリフがようやくできた。インプットし直してくれ」

  daiが脚本以外のほぼ全ての業務を担ってくれたおかげで、タウンは一番得意な脚本制作に注力できた。もともと脚本は評判が良かったのだが(そもそもdaiが入団したのも、タウンの脚本に惹かれてである)、注力ができるようになったおかげで、さらに脚本の質は上がっていった。しかし、執筆に集中できるようになったタウンは、より高みを目指すようになった。それは物書きの性分であり、その性分の前には時間や締切は意味をなさなかった。

「また?!一体何度変えたら気が済むんだよ!明日が公演初日だって今言ったよね!?」

「ギリギリまで粘ってこそ華が生まれる。『ラスト1マイルはミリオンダラーの分岐点』。頼むぞ」

  daiの苦情を表情一つ変えずに受け流すと、タウンは机の上に脚本を置いて、伸びをしながら事務室から去った。daiは脚本をスキャンし、演者であるノークオーツ -クオーツが無いため自由意志を持たない、いわゆる「あやつり人形」である- のオートマトン達にデータをインプットしていった。

「大体、あのアイヴィー皇太子が乗ってた飛空艇を襲った時も、タウンが『金目の飛空艇じゃ!他に取られる前に行くぞ!』って突っ走ったんだ。皇太子が乗っているなんて僕が知っていたらすぐに制止したのに、それを確認しないで舵を切るんだから…」

 daiはぶつくさ文句を言いながらインプットを続けた。余談だがdaiが文句を言っているアイヴィー皇太子の件について、「情報収集能力がそれだけ高いにも関わらずそんな重大な情報を取り漏らしたdaiが悪い」というのはタウンの弁である(もちろんdaiは納得していない)。

 

「よし、全部できた」

  オートマトンのセッティングが完了し、一息をついた。明日に備えて自分にもオイルの充填をしなければ。予定停止時間より30分程度遅れてしまったが、今から休めば十分回復できる。daiは寝室に戻ることにした。

 

 

 「次世代アイギス砲?」

 「ああ。どこへでも正確に撃てる」

 「そんなもんが…どうやって?」

 「俺もわからない。だが、軍が技師を急に集めだした」

  街から少し外れたバー「New World」。脚本を書き終えタウンが一息つこうと席に座ると左側から声をかけられた。空賊仲間のオートマトン「メン」だった。再会を喜ぶ二人がお互いの近況を話し終えた後、メンが切り出した話が「次世代アイギス砲」だった。

  「軍は何を考えとる…?」

  「そんなもん、一つしか考えられねえよ」

  「クーデター…?じゃが、そんなあからさまに技師を集めたら目立つじゃろ」

  タウンが日本酒の入ったお猪口をくいと飲み干し、メンに尋ねた。

  「表向きはアイギス砲の『ア』の字も出してないし、直接技師を集めているのは通信・広報部だ。隠れ蓑といったところだ」

  「じゃとしたら、その通信・広報部が肝じゃな。無関係とは思えん」

  「それなんだよ」

  お猪口に日本酒を注ぐタウンに、メンがトーンを落として顔を近づけた。

  「…何がある?」

  日本酒を注ぎ終えたタウンは、メンに顔を向けた。

  「こいつが今の通信・広報の統括部署のトップだ」

  メンが一枚の写真を見せた。グラスのかかった黒のシルクハットをかぶり、黒の蝶ネクタイと白のワイシャツをきちっと着こなす、精悍な顔つきをしたオートマトンが写っていた。

  「切れ者じゃな」

   メンから写真を受け取ったタウンは、見落としをしてはいけないと隅から隅まで観察した。少し酒の酔いは回っていたが、油断のならない人物という判断に間違いはないと思った。

  「かわやん。ズパイク卿のパートナーだ」

  メンの言葉を聞いて、タウンの顔が険しくなった。

  「ズパイク卿が噛んでるだと…?」

  「断言はできないが、俺は無関係とは思っていない」

 声色に少しの恐怖を帯びたタウンに対し、様子を一つも変えずにメンは答えた。

  「これをお前に話したのは理由がある」

 メンは続けてタウンに告げた。

  「daiを絶対に軍に戻すな」

 

  軍も一枚岩ではないため、次世代アイギス砲の開発は順調ではない。しかし、そこに求心力の高いズパイク卿がいる状態で、状況整理能力の高いdaiが加われば、次世代アイギス砲の開発は一気に進む。それがメンの見立てだった。

「じゃが、daiは軍に戻る気は無いと言とるぞ」

「お前の脚本を気に入ってるからだろ?」

「どうしてそれを…」

「あいつは興味のあることには人一倍好奇心が強いんだよ。だから軍を抜けるなんてことが平気でできる。だが、お前の脚本以上に興味のあることができたとしたら?」

メンは表情を硬くしたタウンに告げた。

「つまり、次世代アイギス砲にわしの脚本以上の興味を持った、としたら…」

「あいつは腐っても軍用オートマトンなんだよ」

 

  最初は荒唐無稽な話と聞いていたが、ズパイク卿のパートナー・かわやんの写真、メンというかつてのdaiの部下であった軍用オートマトンの言葉、日本酒の酔い。聞き流すだけの材料をタウンは持ち合わせていなかった。

  「考えとく。明日は公演初日じゃ」

  お猪口に残っていた日本酒をぐいと飲み干して、メンに礼を言いタウンはバーを出た。

 

 自分の脚本は次世代アイギス砲なんかよりずっと面白い。

 タウンはそう断言することができなかった。自分の脚本が面白いのは十分な時間を取れているからで、それはdaiが脚本以外を一手に引き受けているからだと、タウンは自覚していた。

   夜はすっかり更けて、満月の月明かりだけが道を照らしていた。翌日の講演に備えてさっさと寝るつもりだったが、少し歩いて身体を無理やり疲れさせないと、眠れそうになかった。

  タウンはどこかへ行く当てもなく、街を歩き続けた。

 

   不安を解消するには、事実をさっさとクリアにしてしまった方が良い。

   だからタウンは、公演が終わって過去最大の集客数と顧客満足度を達成したことを確認して良い気分になっているタイミングを見計らって、daiそれとなく次世代アイギスの噂を話した。

 

「ああ、前に少し聞いたことがあるよ」

  タウンの心配をよそに、daiはあっさり答えた。

「さすがにおとき話だろうなぁと思って全然そん時は気にも止めなかったけどね。まぁでも、もしできたとしたら、勢力図とかかなり変わるし面白いことになるよね」

「面白い?」

  ヒヤリとする感情を押し殺してタウンは尋ねた。

「そりゃ面白いよ。今までと全然違う世界が見えるんだから」

「そうか。……例えば、そういう軍に戻りたいと思うか?」

「ううん、今はタウンの脚本の方が面白い」

 

  タウンの背筋に冷たい汗が走った。今はタウンの脚本の方が面白い。つまり、タウンの脚本がつまらなくなったら、自分は軍に戻るつもりだと言っているに等しい。事実、面白さを求めてdaiは軍からこっちへ乗り移った。

「あいつは腐っても軍用オートマトンなんだよ」

  メンの言葉がタウンの頭の中で響いた。

  daiが軍に戻ったら、アイギス砲が完成する。そうなったら、軍がクーデターを起こす。daiが自分の脚本に惚れ込んでいる限りは、そのまま興行を続けてくれる。しかし、daiが自分の脚本を見限った時、daiは軍に戻ってしまうだろう。

   自分の脚本が、軍部の暴走を止めるための鍵だ。

  タウンは下書きしていた次回作を書き直すことに決めた。今の状態では、今回の講演を上回る事はおそらくできないと感じていた。今回の講演を上回ることができなければ、daiは軍に戻ってしまうかもしれない。タウンは勝負をする決意をした。

 

  しかし、そんなタウンの決意は全く予想もしない形で頓挫することになる。

  クロノステラ浮遊群島で行われる、帝国とコミューンの覇権を賭けた最後の戦い。通称「人狼協定」。無作為に選ばれた13組による人狼ゲーム。

  「なんでわしらなんじゃ…」

  タウンとdaiは召集状を手に取り考えを巡らせていた。

 

中編に続く

剣と蝋燭とタキシード

「…説明は以上となります」
「わかりました。それじゃあ、支払いはこれで」
  一通りの説明をソールから聞いたバロウズは、懐から小切手を取り出し、請求書の金額欄に記載されていた金額を記入しサインをした。
「…ありがとうございます」
  ソールは小切手を受け取り、封筒にしまい込んだ。
「…大変でしたね」
「仕方がない。いつかこの日が来ることは、わかっていたからね」
  病に倒れて半年、バロウズの父親は薬効の甲斐なくこの世を去った。この日が来ることはわかっていたとはいえ、いざ来てみるとなかなか気持ちの整理をつけられないのも事実だった。気持ちの整理がつかないまま、とにかくソールの指示に従い葬儀を執り行い、無事に葬儀は終わった。
  普段はふざけているソールがこの時は頼もしく見えた。葬儀屋という職業上、こういったシーンはよく見慣れているだろうに、それでも大変だったと声をかけてくれることが、バロウズには嬉しかった。
「それに」
  バロウズは続けた。 
「大変なのはこれからだからな」
「……もし相続の手続で不明な点がありましたら、いつでも遠慮なくお呼びつけくださいませ」
「ありがとう」  
 
  メイドに休暇を与えていたため、ソールが去った後の屋敷はバロウズは一人だけになった。一人だけの屋敷は、想像以上に静かで、ここを自分が支えなければならないのだという責任感を改めて肌で感じた。父親が存命だった時から「男爵としてやるべきこと」は移譲されていたが、父親が改めていなくなってみると、今まで感じたことのない重圧があった。
   これから、この重圧と向き合って行かなければならない。いきなり男爵のあれやこれやを引き受けることになったら、耐えられなかっただろう。結果的に、父親がめんどくさがりで良かったなとバロウズは思った。
 
 
  国境騎士団長ダンカンが村に来たというニュースは、瞬く間に ー主にホットなニュースが大好きな郵便局長のサミーとその部下のハイラムのおかげでー 村に広まった。騎士団定例の視察で、特に何か事件があったわけではないのだが、一部の村人は本格的に騎士団がきたという事実に盛り上がっていた。
  その「一部の村人」の1人であるキャロルは、ニルスとテイラーの店でさらに盛り上がっていた。壁に掛けてあった競技用の剣が珍しく、テイラーに尋ねたからである。
「テイラー、フェンシング優勝してるの!?すごい、めっちゃ強いじゃん!!!」
キャロルは驚きと共にテイラーを見た。
「昔の話です」
「でもたまにバロウズとやってて、いつも勝ってるじゃん」
「いつもではありません」
口を挟んだニルスに少し困った顔をしながらテイラーは答えた。
「いつもじゃないってことは、だいたい勝ってるんでしょ?ダンカンにも勝てるんじゃない?」
「勝てません」
  キャロルは蜜蝋と蝋燭の入った籠を机の上に置き、背広にブラシをかけているテイラーに問いかけたが、テイラーは素っ気なく答えて背広にブラシをかけ続けた。
「あのサーベル、騎士団の人達が持ってるのとなんか違うけど、競技用だから?」
「あれはサーベルではありませんよ」
「え、違うの?」
「あれは『エペ』です。競技によって剣が違うんです」
 「…ホントだ。刃が違う」
  キャロルは珍しそうに掛けてあったエペを見た。確かにキャロルの知っているサーベルと違い、斬るための刃が無かった。
「でも、テイラーってそんなにフェンシング強かったんだったら、なんで騎士にならなかったの?」
  麦わら帽子を手に取りながら、キャロルはテイラーに再び尋ねた。
「……言われてみたら、そうだね」
  ふと気づいたという感じで、ニルスがキャロルにうなづいた。ニルスも知らなかったらしい。
「テイラー、なんで騎士団目指さなかったの?
「……目指さなかったわけではありませんよ」
  テイラーはブラシを掛け終えた背広を軽く整えて答えた。
「でも、これで良いんです。私は仕立屋がやりたかったのですから」
「…ふーん」
  全然納得していません、という顔をしてキャロルが答えた。
「ほら、騎士団の候補生って、みんな強いからテイラーも刃が立たなかったんじゃないかな」
「まあそんなところです」
「…ふーん」
  ニルスのフォローに対しても、キャロルは顔を変えずに答えた。
「なんでそんな顔してるの…‥?」
「だって、フェンシング優勝してるんでしょ?騎士団の候補生も強いかもしんないけど、それにしたって、変だよ。なんで仕立屋なんてやってるの?」
「キャロル!」
  ニルスがキャロルに注意した。
「あ…‥ごめん。その、そういうつもりじゃ」
  仕立屋「なんて」という自分の失言に気付いたキャロルは、気まずそうにテイラーに謝った。
「いえ、気にしないでください」
  しばらく沈黙して、テイラーは穏やかな口調で縮こまってるキャロルに答えた。
「……私は、騎士団を目指していました。ですが、思ったんです。自分には向いていないと。私はあまり争うことに向いていないんです。それであれば、私は服をきちんと仕立てて、誰かの役に立った方がずっと良いです」
 
 
  夕方になるともう客は来ない。店を閉めるため、店内の帽子を片付けながらニルスはテイラーに尋ねた。
「そういえば、バロウズとはもうフェンシングしないの?」
「……難しくなるでしょうね」
  少し寂しそうにテイラーが答えた。
 
 
  テイラーがこの村に越してきた頃、バロウズがスーツを仕立てに来た。その際、フェンシングの話で盛り上がり「一度勝負をしよう」と意気投合した。
  初戦、バロウズは1セットも取れなかった。テイラーは久々のフェンシングで腕は鈍っていないか不安だったが、きちんと戦えて良かった、と思った。しかし、この結果がバロウズの闘争心に火をつけてしまったらしい。その後、バロウズは服の修理や小物の買い付けをする時にテイラーに決闘を申し込み、 テイラーはその都度バロウズ邸に出向きフェンシングをする、という生活が続いた。
「バロウズ、いっつもテイラーに勝負を申し込んで来たもんね」
「そうですね。いらしてくれる時に、ネクタイなども買ってくださって」
  いつのまにかバロウズはテイラーとニルスの上客になっていた。フェンシング以外にも認めてくれたように思えてテイラーは嬉しかった。
  その後もフェンシングは続いたが、剣術の先生 ーたまたま村に来ていた剣豪のムサシに指南を受けていると聞いたー に師事して稽古に励むバロウズと、仕立屋の生活に追われつつも新婚生活を楽しんでいるテイラー。たとえスタートラインが離れていても、差が縮まるのは当然だった。次第にバロウズがセットを取る回数が多くなっていった。それでも、テイラーには一日の長があり、まだバロウズがテイラーを上回るまでには至っていない、とバロウズは考えていた。師事と審判を務めてくれていた剣豪のムサシも同じ見解だったことから、バロウズはより一層訓練に励むことになった。
 
 
  テイラーにとって、あくまでフェンシングは趣味の領域の範囲だった。しかしバロウズにとっては、もうただの趣味では無くなっていた。いわゆる「武芸の嗜み」は、家の格を決定するための重要な要素だ。それでも家を継ぐ前は趣味の延長に近い話で許された。だからこそ、バロウズはテイラーにフェンシングを気軽に申し込めたし、テイラーも勝負を受けて立つことができた。
  バロウズの父親が亡くなり、バロウズは後を継ぐことになった。一週間後には戴冠式が控えている。そうなると、バロウズが武芸で勝つこと・負けることはバロウズ家に関わる話になる。もうテイラーと気軽に戦えるような話ではなくなる。勝つならまだしも、負けたら一大事である。
  「まだテイラーの方が強いの?」
  「…いえ、そんなことはありませんよ」
  テイラーは答えた。謙遜ではなかった。試合をすれば、バロウズに勝てる見込みはまだある。しかしその見込は最初に試合をしたときよりもずっと低かった。その「勝てる見込み」が無くなるのは時間の問題だろう。自分は武芸の道を選んだわけではないのだから。
  「…テイラー、聞いていい?」
  「なんでしょうか?」
  「僕、昼間にキャロルを叱っちゃったけど、キャロルの言いたいこと、分かるよ。なんでそんな強かったのに、やめちゃったの?」
  ニルスが店内に飾ってある帽子をまとめながら尋ねた。
  「……争うことに向いていないんです。私は」
  テイラーは帳簿をチェックする手を止めて、ニルスに顔を向けて答えた。
「向いていない?」
「騎士団に必要なのは、武芸だけではありませんでした。学問・団内の政治力・将来を見通す力・諦めない心。どれか一つが欠けていても、大成はしません」
  ニルスは帽子を片付ける手を止めた。 
「もちろん、最初から全てを揃えているような候補生はいません。修練所や実際の団内で鍛えていきます。……ですが、私にはどうしてもできなかった」
「できなかった?」
「……私には、人を率いること、それができませんでした。いくら剣が強くても、それでは騎士団は作れません」
「……」
  ニルスが神妙な顔で軽く頷いたのを見て、テイラーは続けた。
「……人には向き不向きがある。私はそう思います」
「……わかった」
  本当はもっとテイラーの話が聞きたかった。ただ、テイラーの顔を見ていると、何か悲しい思いをして騎士団を諦めたのだろう、とニルスは悟った。そんなテイラーにニルスは根掘り葉掘り聞く気にはなれなかった。けれど、まだニルスはもやもやした気持ちを抱えていた。
「じゃあ」
  ニルスは続けた。
「テイラーは、自分が仕立て屋向いていると思ってる?」
「向いています」
  テイラーに考えさせるために少し意地悪な問いかけをしたつもりだったが、テイラーが即答したので、ニルスは虚を突かれた顔をした。
「少なくとも、誰かと争う必要はありませんから」
「…そんなに争うの嫌なの?」
「嫌ですよ。ニルスは好きなんですか?」
「好きじゃないけどさあ……あれ?」
  ニルスが顔を背けてふとネクタイの置いてある机を見ると、脇に見慣れない籠が置かれているのに気付いた。ニルスは近づき籠を確認した。
「これ、蜜蝋……」
「キャロル、忘れていきましたね…‥」
  テイラーが呆れて言った。
「仕方ありませんね。届けたいところですが……私はバロウズのところに行かなくてはなりません」
「あ、いいよ、預かっておくから、気にしないで」
  テイラーはニルスに礼を言うと、壁かけてあったエペを外した。
「えっ?」
「ニルス」
  テイラーはニルスを向いて言った。
「今日が最後になると思います」
 
 
■ 
  左手にカンテラを持ちながら、テイラーはバロウズ邸へ急いだ。もうすっかり暗くなっていたが、思った以上にカンテラの灯りが明るく、道がいつも以上に見えた。右肩に抱えているエペと防具を感じながら、テイラーはバロウズとの試合を思い出していた。
  テイラーは騎士団のフェンシングを、「相手をねじ伏せるという意志」をいかに飼い慣らすかの勝負だと考えていた。意志が漏れすぎないように、絶えないように静かに構え、相手との間合いを測る。意志を出して突ければ勝ち、意志が漏れていることを悟られ躱されたら突かれて負け。シンプルだが、途方も無い。それが戦いに赴く騎士団なのだ。そう考えていた。
  バロウズとの試合は、それと比べたら楽だった。もともとの経験に加え、相手をねじ伏せるという意志はバロウズには無かったため ー無いわけでは無いけど、騎士団のそれに比べたらずっと少ないと感じたー 、静かに待って倒せば良かった。
  しかし、数ヶ月もすると、「相手をねじ伏せるという意志」が吸収されるかのような感覚を感じることがあった。いくら突こうとしても突けるイメージが湧かない。構えているしかないが、相手も構えたまま。決めあぐねた一瞬の虚をついて、バロウズに突かれる。次第に互角の勝負となっていった。
  今日はどんな勝負になるのだろう。
  いつの間にかテイラーはバロウズとの試合を楽しみにしていた。そして、これが最後になることに気付き、寂しいと感じた。
 
 
  テイラーはバロウズ邸に到着すると、壁掛けの松明の下にあるベルを鳴らした。しばらくすると、扉が開いてバロウズが顔を見せた。
「遅くなりました」
「いや、構わ……ん?」
  怪訝な顔でテイラーの後ろを見るバロウズ。何事かとテイラーが思った刹那、バロウズが声をかけた。
「キャロル?」
「えっ!?」
  テイラーは驚いて振り向いた。少し先に、蜜蝋と蝋燭の入った籠を腕に掛けたキャロルが、小さいカンテラを持ちながら立っていた。
 
 
  フェンシングの闘技場は地下にあった。それほど広いわけではないが、2人が試合をするのには十分な広さだった。キャロルはフィールドの四隅にある燭台に蝋燭を刺し、火を付けた。
「灯りはどう…ですか?」
「十分だな」
「問題ありません」
「見える」 
バロウズとテイラーとムサシが答えた。
(良かった……)
  蝋燭が問題なく付いて、キャロルは安堵のため息をついた。
   キャロルが蜜蝋と蝋燭を忘れたのに気づき、テイラーとニルスの店に慌てて戻ると、テイラーが店から出ていくのが見えた。はっきりとは見えなかったが、右肩に何かを抱えているように見えたのが気になって、キャロルはニルスから籠を受け取るとその足で慌ててテイラーの後を追った。暗い夜道を自分のカンテラと少し先をいくテイラーの灯りだけを頼りに歩くのは不安だったが、好奇心が勝った。
  だから、目的地がバロウズ邸だとわかった時は、しめたと思った。きっとこれからテイラーはフェンシングをするのだ。頼んで見せてもらおう。
  しかし、そう考えた瞬間、昼間のテイラーを思い出し、キャロルは不安に襲われた。テイラーはフェンシングの話題を余りしたがらなかった。そもそもこんな夜間に行くということは、あまりおおっぴらに出来ないからではないか。そこまで考えが至って、キャロルは安易にテイラーの後をつけてしまったことを後悔した。しかし、時過でに遅く、テイラーがバロウズ邸についてしまった。夢中でついてきてしまったが、帰り路も心配だ。
  キャロルは怒られることを覚悟で、バロウズとテイラーにフェンシングを見せて欲しいと頼み込んだ。
 
   バロウズはキャロルを歓迎した。バロウズ邸で水漏れのトラブルが発生して、蝋燭が駄目になってしまっていた。バロウズに蝋燭を売って欲しいと頼まれたキャロルは、
蝋燭代はタダで良いこと、フェンシングをした事は口外しない事を条件に、テイラーとの試合を見せて欲しいと懇願した。
  どのみち、承諾しなければ試合はできなかったので、バロウズはあっさり承諾した。
「助かったな。これで試合ができる。キャロル、ありがとう」
  すでにフェンシングのジャケットを着用したバロウズは、蝋燭の灯りに満足しながらキャロルに礼をした。
「い、いえ、そんな、どういたしまして」
  緊張のあまり、キャロルはかしこまりながらバロウズに礼を言った。
 「こちらも準備できました」
  こちらもジャケットを着用したテイラーがムサシに向って答えた。
「では始めようか」
  ムサシの号令でバロウズとテイラーが、フィールド中央近くの二本のラインにそれぞれ立ち、向かいあった。
「気をつけ。礼」
  2人は互いに礼をする。
「構え」
  マスクをかぶり、それぞれのラインにつま先をつけて構える。
「準備はいいか」
「はい」
  2人が同時に答える。
  いよいよだ。キャロルは両手をぐっと握り2人を見た。
「はじめ!」
 
■ 
  小刻みにステップを踏むテイラーに対して、バロウズは慎重に間合いを測り、時には素早く突いて牽制をした。狙うは、左足。牽制のための突きが引っ込んだ瞬間を狙って一気に踏み込み、突いた。
「一本!」
  ムサシの判定が地下のホール内に響いた。1点を先に取れた。
 
  これでいい。バロウズは何処かに必ず穴ができる、その穴を探して突く。今まで通りの戦い方をすればいい。 
  テイラーはステップを踏みながらも慎重にバロウズの穴を探した。右肩、右足、右手、左手。5点を取った。左手を狙う際にバロウズに突かれ失点してしまったが、それでも5対2ならば、十分だった。
 
 
  5対2となったところで休憩が入った。バロウズとテイラーは水差しからコップに水を注ぎ、飲み干した。ふう、とテイラーとバロウズのついた息の音が、キャロルには大きく聞こえた。その音を聞いてキャロルは喉が渇いている事に気付いたが、2人の勝負の最中と微動だにせず胡座をかいて座っているムサシがいるところで、水を飲む気にはなれなかった。
 
 
■ 
  試合が再開された。
  テイラーのステップは先程と変わらないように見えたが、バロウズの動きが少し違うようにキャロルには見えた。バロウズの動きが明らかに小さくなっていた。牽制するための突きもしなくなった。疲れている、と最初は思ったが、違った。バロウズが一気に踏み込んでテイラーを突く。テイラーがバロウズの突きに対応できていなかった。テイラーがバロウズを突く回数が少なくなっていた。
  (どうしたんだろう……?)
  とうとうバロウズが逆転した。8対7。
  キャロルは急にテイラーが調子を落としたように見えて、心配になった。
 
 
  急に穴が見えなくなった。
  穴が見えた、と思った瞬間、その穴が急に塞がり無くなっていく。テイラーが困惑していると、そのスキをバロウズに突かれた。次第に穴が見えなくなった。穴が見えなくなると、テイラーはバロウズをどう攻略したらいいかわからなくなってしまった。強引にこじ開けようとすると、その瞬間を狙われてしまう。
  攻撃を全て迎え撃とうとしている。
  バロウズの姿勢からテイラーはそう感じた。攻撃を迎え撃とうとするなら、こちらも、と思うものの、間合いが測りにくくなっていた。いつものバロウズとは何かが違っていたが、何が違うかはテイラーにもわからなかった。
  バロウズが視界から消えた。後ろに下がったが間に合わなかった。
「一本!」
ムサシの声が響いた。右のつま先を突かれていた。9対7。あと一点取られたら負ける。
「はじめ!」
お互い構えたままだった。
  どれくらい時間が経ったのか、テイラーにはわからなかった。むしろ、時間が止まってしまったような感覚すら抱いていた。
  バロウズが堂々と対峙していた。動けなかった。
(なんだ…‥?)
  重圧だった。目の前にいるバロウズはいつものバロウズに見えた。しかし、全身からの感覚が普段のバロウズでは無いと告げていた。その感覚は重さとなりテイラーを縛り付けた。動いてはいけない、と感じた。動いた瞬間、突かれる。しかし、バロウズは動く気配が無かった。
  間合いを測るため少しずつ後退してみたが、バロウズはぴったり距離を保って近づいてきた。バロウズは適切な距離を把握している、とテイラーは思った。テイラーは適切な距離がわからなかった。バロウズの適切な距離を外すのが精一杯だった。思い切って後退し、ステップを踏み、突いた。しかしバロウズは軽く弾くだけだった。
  もう、踏み込むしか無かった。だが、バロウズには穴が無い。どこをどうやって穴をこじ開けるか、探った瞬間だった。
  バロウズが動いた。
 
  
「気をつけ。礼」
  ムサシが号令をかけた。バロウズとテイラーはお互い礼をし、近づいて握手をした。
  バロウズに久々に負けた。記憶にある限りでは、今回の勝負も含めて18勝15敗。勝率はまだテイラーの方が高い。
  でも、もうバロウズとフェンシングはできない。ずっと勝率はテイラーの方が高いままだが、これからバロウズと戦っても、勝てる見込みはない。テイラーはそう確信した。
 「参りました」
  テイラーはバロウズに向かって言った。心から参ったと感じた。
「ありがとう」
  バロウズは小さく言うと、テイラーに軽く礼をした。 
「ありがとうございました。……力不足でした」
  テイラーは審判を務めてくれたムサシに、静かに答えた。
「……もうフェンシングはしないのか?」
  えっ、という表情でキャロルはムサシとテイラーを交互に見た。キャロルは困惑してたが、テイラーはムサシの質問にはっきりと答えた。
「はい、私はもうフェンシングはしません」
  笑みを見せながらテイラーはムサシに答えた。
 
 
  すっかり夜も更けていた。遅いから泊まって行きなさいというバロウズの申し出は有難かったが、帰って仕事をしないと間に合わない。固辞してテイラーはキャロルと一緒に帰り路を歩いた。
「テイラー……」
「どうしました?」
「…ごめんなさい」
「どうして急に謝るんですか?」
テイラーが少し困惑しながらキャロルに聞いた。
「後をこっそりつけたりして、ごめんなさい。すごく嫌なことをしちゃった……。それに、テイラーの気持ちを考えないで、試合を見たいとか言い出して」
 キャロルは俯きながら答えた。謝る時はテイラーの顔をちゃんと見て、と思ったが、いざ言葉に出すと強くやましい気持ちに襲われ、テイラーの顔を見ることができなかった。
「そうですね」
  怒っている。キャロルは申し訳無さでいっぱいになった。
「私もキャロルがそんなに本気でフェンシングを見たいとは思っていませんでした。お互い気持ちをわかっていませんでしたね」
キャロルはテイラーの顔を見た。テイラーも俯いていた。
「……テイラー、フェンシングもうやらないの?」
  キャロルは顔を前に戻して尋ねた。
「当分しません。他にやらなければいけないことがあることが、よくわかりましたから」
「やらなきゃいけないこと?」
「服の仕立です」
  テイラーは静かに答えた。
「え、いつもやってるじゃん」
「足りていなかったんですよ」
  意味がわからないと困惑するキャロルにテイラーは続けた。
「バロウズは、男爵になっていたんです。今までと違った。だから勝てませんでした」
「……ごめん、よくわからない」
「キャロルは、蝋燭を作っている時、どんなことを考えていますか?」
「どんなことって……」
  メイソンが教えてくれたロウソク作り。最初はメイソンが喜んでくれたり、部屋が明るくなったりいい匂いがするのが楽しかった。ロウソクを作っている時は、そんな感じだ。
「楽しい……?」
  キャロルは自信なさげに答えた。多分テイラーの求めている答えとは違うのだと思ったが、他に適切な回答が見つからなかった。
「楽しいのは良いことだと思います」
  テイラーは静かに答えた。
「ずっと楽しく続けられていたら、それで良いのだと思います。では、楽しく続けられなかった時はどうしましょう?」
  キャロルは試しに想像してみたが、ロウソクを作ることが楽しくないということが、あまりピンと来なかった。例えば明日までに数百本のロウソクを作らないと怒られるとなったら嫌になると思うけど、現実的にはありえないし、自分が数百本のロウソクを皆が本当に使ってくれるのならとても嬉しいとキャロルは思った。
「……わかんないよ。ロウソク作るのやっぱり楽しいもん」
「なるほど」
  テイラーは感心したように頷いた。なぜテイラーがそんな頷き方をするのかキャロルには見当がつかなかった。
 
「自分がそれほど望んでないことを、引き受けなければならないことがあるんですよ。そういう時にどうするか。自分がそれを望んでいたことにするんです。どうせ引き受けなければならないのなら、自分でそれを望んでたことにして、徹底的に引き受ける」
「自分が考えていないのに?嫌なのに?」
「はい。そういうものだと思ってください」
  キャロルは納得がいかなかったが、ここで飲み込まないとどうしようもなかったので、頷いた。
「あまり大きな声で言わないでほしいんですが、バロウズはそれをやったんです」
「バロウズが?」
「元々バロウズはあまり家のことは考えていませんでした。それがある日から変わったんです。進んでいろんなことを引き受けました」
  バロウズがテイラーにフェンシングを挑んだのも、武芸を磨くきっかけの一つにしたかったのだろうな、と今になってテイラーは思った。
「ずっと楽しんでやる人は強いです。だからキャロルは素晴らしい蝋燭屋になると思いますよ」 
  唐突に褒められてキャロルはびっくりした顔をした。 
「そしてもう一つ、強いのは」
  びっくりした顔をしたキャロルをしっかり見つめ返してテイラーは続けた。
「楽しいことも楽しくないことも、全部きっちり引き受けることを決めた人です」
 
 
 ■
 キャロルを送り届け、テイラーは店に戻った。だいぶ夜も更けてしまったが、まだやらなければいけないことは残っていた。裁断用の机の近くにシルクハットがあった。テイラーはシルクハットの近くにメモ書きがあるのに気付いた。
 
【テイラーへ
    シルクハットはできたよ!我ながらバッチリだと思います。
    明日は仕入れに行くから店にはいないけど、もしバロウズが来たら、試着の対応はお願いします。
 それじゃあ、よろしく!タキシード作り頑張って!
                                                                                                  ニルス】
 
  シルクハットはひと目見ていい出来だとわかった。ニルスもキャロルと同じく、帽子を作るのが楽しくて仕方がないのだろうな、とテイラーは思った。
   テイラーは奥から型紙を取り出した。型紙に触れると先ほどまで勝負をしていたバロウズのことを思い出した。バロウズが着るイメージができた。上質なシルクを入手するのに手間取ってしまっていたため、少し工程が遅れてしまっていたが、ようやく取り戻せる。
  手が汗ばんでいた。自分でも上気しているのがわかった。気持ちを落ち着かせないと荒い裁断をしてしまいそうだが、型紙は、いま一気に仕上げてしまいたかった。
  バロウズは男爵として生きていく覚悟を決めていた。それを即位式で皆にきちんと表現できるようなタキシード。あそびは要らない。シンプルに仕上げればいい。しかし、「シンプルに」というのはハードルが高い。全く誤魔化しが効かない。
  服は仕立屋の胸先三寸で全てが決まる。きっちり着こなせたら着る人間の手柄、決まらなかったら仕立屋の責任。しかし決まらなかったら、泥をかぶるのは服を着ている人間だ。だったら、仕立屋は相応の覚悟を以って臨まなければならない。相手が覚悟を決めた人間なら、なおさらだ。誰かを支えたり助けることは、誰かの影で何かをすることではない。自分も同じくらいの覚悟を決めなければならない、ということだ。テイラーは心からそう思った。
  テイラーは切り終えた型紙を眺めた。
  ここから自分の勝負が始まる。これから始めるのは争いごとではない。だが、覚悟を決めなければいけないことに変わりはなかった。重圧を感じた。きっとバロウズが感じているのは、これとはまた別のもっと強い重圧だ。
 
  バロウズの重圧を引き受ける。
  テイラーは型紙に線を引いた。覚悟が決まれば、あとは一直線だった。


「大丈夫?クロワッサン食べる?」
  パンジーはイスの背もたれに背中をぴったりつけて休んでいるテイラーに声をかけた。戸棚から取り出したクロワッサンを皿にとり、マーマレードジャムの瓶と共にテーブルに置く。
「ありがとう」
  テイラーはパンジーに礼を言うと、背中を背もたれから離してマーマレードジャムを皿によそい、クロワッサンの端をちぎって付けて食べた。
「タキシードは仕上がったの?」
「なんとか。仕上がりました」
「そっか」
  パンジーはコーヒーを淹れたマグカップを机に置いた。
  仕立てが終わったのだから、普通はもっと晴れ晴れとした顔をしている。それなのに、今は複雑な表情を浮かべている。テイラーはその自覚があったし、パンジーがそれに気付かないはずがなかった。余計な気を使わせて申し訳ないとテイラーは思ったが、今は何も言わずにそばにいてくれるパンジーがありがたかった。
  ともあれ仕立は終わった。流石に疲れが溜まっていた。
「パンジー……」
「ん、なに?」
「……コーヒー、もう一杯ください」
「明日が定休日で良かったね」
  テイラーは軽く頷いた。パンジーは空になったテイラーのマグカップを持ち、台所に二杯目のコーヒーを淹れに行った。
  テイラーは帳簿を取りに行った。疲れているが、ベットに入っても寝付ける気がしなかった。それだったら細々した仕事をしていた方がいい。帳簿を机に広げて、バロウズのタキシードのページをチェックしたところで、パンジーがコーヒーを淹れて戻ってきた。
「ありがとう。パンジーはもう寝てて大丈夫ですから」
「ううん、もうちょっと居る」
「…すみません」
  テイラーは礼を言い、コーヒーに砂糖を入れて一口飲んだ。
「この間、バロウズとフェンシングをしたんです」
  テイラーはパンジーの顔を見ずに、ゆっくりと話した。
「途中から全く勝てなくなりました。うまく説明できないんですが……もう勝てない、そう思いました。今思えば、バロウズは覚悟を決めていたのだと思います。男爵としての覚悟を」
「うん」
「バロウズが…急に遠くに行ってしまったように感じたんです」
  別れを泣きたいわけでもないし、かといって壮行を喜ぶほど明るくなれるわけでもない。両方の気持ちがそれぞれあって、どこにも持って行くあてが無かった。テイラーはそういう感情が生じることは知っていたが、そういう時にどうすれば良いかは未だにわからない。ただ、自分が寂しいという感情を抱えているということは、パンジーに話していて気付いた。
「バロウズは、男爵になったんだよ」
「そうですね」
「でも、男爵になれたのはテイラーのおかげだと思うよ」
  パンジーはテイラーに言った。
「フェンシングもやったし、タキシードも作ったんでしょ?テイラーがバロウズを助けたんだよ」
「……はい」
  バロウズの父親が亡くなって大変だったときも、バロウズは仕立屋に足を運んでいた。きっとそれは、即位式に着るためのタキシードの相談や、気晴らしのフェンシングの誘いだけが目的ではなかったのだろう。だからパンジーは、テイラーがバロウズをずっと助けていたと思っている。テイラーが居てくれるだけで、バロウズは良かったのだと。
「即位式。僕は楽しみにしているよ」
「……一緒に見に行ってくれませんか」
「もちろん。タキシードも見たいしね」

  
  テイラーは朝焼けの中、仕立てたタキシードを見つめた。これをバロウズは着て、ニルスのシルクハットを被り即位式に臨む。
  腹が座った。テイラーは重圧を感じたがそれ以上に自信を感じた。自分にあるのは、仕立屋としての覚悟だけではない。ニルスもパンジーも居る。このタキシードは、バロウズのために作ったタキシードだ。バロウズはこれをきっちり着こなしてくれる。
  何の心配も要らなかった。


  即位式が終わったら、男爵の凱旋が始まる。シルクハットとタキシードを着たバロウズを見るチャンスはそこだった。
「早く早く!」
「随分気合入ってるなあ」
「パレードが始まるから!急いで!」
  バロウズの即位を祝福するかのように、雲一つない青空が広がっていた。のんびりとしたニルスと対象的に、キャロルは早く来てと急かすようにテイラー達を呼んだ。
「馬車は逃げないよ」
「でも、みんな来るから見えなくなっちゃうよ」
パンジーが諭すも、キャロルは自分の身長では人混みに埋もれてしまうことを心配していたため前の方を確保したがっていた。
「そりゃパンジーはテイラーに肩車してもらえばいいけどさあ」
「しないよ!」
パンジーがキャロルに突っ込む。
「おや、しないんですか?」
「テイラー!」
パンジーがテイラーに突っ込む。そんな中、ポンポンと砲の音がした。
「あ、始まる!」
  しばらくすると、前方で歓声が上がった。バロウズの馬車が来たのだろう。ニルスも、パンジーも、テイラーも、キャロルも、バロウズの晴れ姿が楽しみだった。
  4人は胸を踊らせながら馬車が来るのを待った。

短編小説の集い「のべらっくす」第25回参加作品 感想一覧

 遅くなりましたが、先日参加した短編小説の集い「のべらっくす」の参加作品の感想を書きます。

 

 

135.hateblo.jp

 医者との会話、 湯船での考え事、病気の発端とシーンの転換がはっきりしていて、会話もテンポよくスイスイと読みやすい物語でした。それだけにオチは予測して無くて「うわ、そっちか!」と一本取られたという感想を抱きました。凛子さんが可愛いです。

 

あと個人的に、

水面から出ている膝のふたつの山を見る。 胸がドキドキと鼓動を打っている。 耳や頬のてっぺんがポーっと熱を帯びている。 「のぼせちゃったかな」と思いながら、ゆっくり湯船から身体を引き上げた。

ある可哀想な右手の顛末。/【第25回】短編小説の集い(今回のお題は病) - 百三十五年丸ノ内線

 ここの「膝のふたつの山」から始まる、お風呂に使って考え事をしている描写がとても好きです。

 

 

www.logosuemo.com

 ある病がきっかけで誕生した新人類シンクロン。彼らのお陰で世界は争いのない平和な世界が築かれるが、シンクロンとなった神代暁はある病気に罹患し、シンクロンを人類に戻す薬を発明する。神代がそうせざるを得なかった難病とは?

 とにかく着想が素晴らしいです。設定はSFなんですが、人間が神格化された悲劇というのは、シンクロンに限らず現実世界にもありうるのかなと思いました。

この世界において、シンクロンは理想の人間像であり神であった。

【第25回】短編小説の集い 投稿作品 『シンクロン』 - ロゴスエモ

 

 短編小説だから仕方ないのですが、もっと深掘りした詳細なストーリーを読みたいなあと思える一作でした。

 

noeloop.hatenablog.com

 今回のお題「病」にストレートに呼応した作品だと思います。本当に病気の話と思いきや、だんだん話が読めてくるのが読者と咲の目線を合わせる形になっていて、コメディとして良いです。読み終わった後、タイトルをもう一度読んで爽やかな読後感を味わえました。

 

「というわけで、咲隊員、一緒に委員長しばきに行こう!」

友達と天然は青春の華 第25回短編小説の集い「病」 - 泡沫のユメ

 

 それにしても、この手の話は現実世界にあるのでしょうか、と思う男子校出身者。

 

nogreenplace.hateblo.jp

 これは怖い。一人称の独白が続きどんな展開になるのかと思っていたら、静かな復讐劇を乗り越える話とは。確かにこれは一人称じゃないと成り立たないですね。後半、日記を渡されてから謎がスルスルと解かれていくところがヒヤリとしながらも面白く読み進められました。

 悲しい結末だけど、こういうのは大なり小なりある話なんだろうなあ。 

これから私がどう生きていくかはわかりませんが、まずは両親や祖父と真剣に向き合って行こうと考えています。祖母のことは未だに夢に見るほど好きなのですが、少しずつ忘れていかなければならないことは頭で理解しています。

満ち足りない ~短編小説の集い~ - さよならドルバッキー

  大好きな祖母と別れなければならないことを受け入れる決意が悲しいです。

 

diary.sweetberry.jp

 クトゥルフというブログタイトルから呪いとかのホラーだと勝手に先入観を抱いていたいので、オチにやられました。楽しいミステリー。

 あと、作者のなおなおさんが書いてたトリック、ちゃんと気付けてがちょっと嬉しかったです。息切れしているし里美ちゃんが来ていて「さ・・ちゃん」と行ってるから、てっきり同じ人かと思いきや。

 

その原因かどうかと言われると自信がなかったが、その不調は確かに先週末に幼馴染のさっちゃんと廃病院に探検に行った後から起こるようになった。

【第25回】短編小説の集い「心を蝕む」 - なおなおのクトゥルフ神話TRPG

 バッチリ原因でしたね。吊り橋効果。

 

syousetu.hatenadiary.com

「中学時代のあだ名は黒子、もしくはステルス」

「いつものTHE・忍者な俺どうした!?」

などなど、随所にあるフレーズが小気味よくて一気に読みました。演劇病というフィクションの病を元に、少年が抱く葛藤や恐怖を乗り越えるストーリー。1人で戦っていた漱也が戦いを終わらせる話、と読みました。心の中の戦いを終わらせるには、誰かに助けを求めるというのは、なんだか分かる気がします。

 

当時大好きだったゲーム「メタルギアソリッド」のスネークのような最強のスパイに生まれ変わったはずだったのに…。

第25回短編小説の集い参加作品ー演劇病 - 小説をちゃんと書こう

 メタルギアソリッドが出た時は、僕はもう大学生だったからこういうことはなかったけど、小学生だったら絶対真似していたし、心の中でなりきっていたと思う。

 

fnoithunder.hatenablog.com

  宇宙船団のリュウが病気になったルナを助けるために地底人に助けを求めるSF。リュウの必死さが悲しく、あまり明るい結末にはならなそうだと読み進めていました。エピローグでルナが地底人であったことは明かされるのですが、全部は明らかにならず、切ない読後感が味わえました。推測ですが、薬は地底人化するのを抑えるための薬で、ルナは観測という目的を離れてリュウに惹かれたのかな、と。

 的確なアドバイスになるかどうかはわかりませんが、リュウがルナを必死で思っているのは冒頭などでもわかるので、地底に行くまで医師を探したりする下りはある程度カットして他の要素を膨らましたほうが、より話が鮮明になるのかなと思いました。

 

novels.hatenadiary.com

 うーわー、辛いなあという凡庸な感想しか出せないくらい、描写がエグくて、加奈子と加奈子の母親が置かれた立場が辛すぎました。この物語はフィクションですが、もしこの通りの事件が発生したら、きっとこの通りの話になるのだろうとしか思えません。

 

一体誰が、加奈子を裁けるのだろう? 性被害者がやり返すことに対し、それがどうしてだめなのかを説明できる人がいるのだろうか。きっと、母親が生きている間中、加奈子の起こした事件は「さまざまな立場の人が議論するだけ」で終わる。加奈子は議論の真ん中に置かれているが、もう心はここにない。それが性被害によるものか、単に加奈子が狂ったのか、それがわかったところでもうどうしようもない。

【第25回 短編小説の集い参加作】白い部屋で彼女は - novelsのブログ

 議論しても結論が出せない事は、 どうやったら乗り越えられるのだろう。

 

masarin-m.hatenablog.com

 おっさんとして興味深く読みました。入院して自分たちが通常の社会から隔離された存在になって、いままでやってきたことができなくなったりした時、どんなことを思い何をするのか。 

だから、小杉さんが看護師さんたちに声をかけるのも、異常な状態か、人寂しいかどちらなのだと思う。話を聞いていて、後者である気がした。あの看護師さんに説明してもわからないと思うが。 私はもう少し熱心に小杉さんにつきあってあげようと思った。

第二十五回 短編小説の集い参加作品「入院中の出来事」 - 明日は明日の風が吹く

 僕は両方だと思いました。人寂しいのはその通りだけど、社会から隔離されて、カメラマンも諦めようとする事態、関わりを持てる人は主人公のような入院患者と看護師ぐらい。普段とは違う異常事態。普段の小杉さんは人寂しくてもそこまで話しかけないのでは、と想像しました。

その距離の近さとは、体育会系の部活の先輩・後輩のようなものだった。だから、男としてはそれほど不快でもない。もちろん、体調が万全ならば。患者はみな、少し痛みなどがなくなり、血液検査の数値に異常がなくなると、自分は完全に復調したと思い込む。退院したら、何かすごいことをしてやろうと思う。短期入院などではそうだろうが、長期の入院になれば、退院直後は、外界に身体をならすことくらいしかできない。入院中は自分がどれだけ保護されているかが、退院すると身にしみてわかる。

第二十五回 短編小説の集い参加作品「入院中の出来事」 - 明日は明日の風が吹く

 意見の全部には同意できないけど、この辺の語り口はとても良いです。

 

最後に自分の作品の振り返りを。

 

author-town.hatenablog.jp

 タイトルが先に決まりました。「あの人」というフレーズを妻側の人に言わせて、夫との距離が遠いことを意識させようと思いました。父親と子供が同じように小説を書くという着想はあったのですが、どうやって病気とリンクさせようか悩んだ結果、少しずつ喘息を悪化させて物書きにのめり込むことにしました。

 劇中作は龍一が会社勤めの経験をもとに書いた小説ですが、もっと劇中作であることを明示したほうが良かったですね。

 

 ちなみに作中の「ベルベラ」は、喘息薬「レルベア」のもじりです。

www.healthgsk.jp

 実在する薬品だから名称をそのまま使うのは避けたのですが、使っても良かったかな。

 

以上、振り返りでした。今月もできれば参加したい所存。

 

他の方々の振り返りはこちらからどうぞ。

novelcluster.hatenablog.jp