文豪の書物置き場

文豪タウンが書いた創作物を置いています。

剣と蝋燭とタキシード

「…説明は以上となります」
「わかりました。それじゃあ、支払いはこれで」
  一通りの説明をソールから聞いたバロウズは、懐から小切手を取り出し、請求書の金額欄に記載されていた金額を記入しサインをした。
「…ありがとうございます」
  ソールは小切手を受け取り、封筒にしまい込んだ。
「…大変でしたね」
「仕方がない。いつかこの日が来ることは、わかっていたからね」
  病に倒れて半年、バロウズの父親は薬効の甲斐なくこの世を去った。この日が来ることはわかっていたとはいえ、いざ来てみるとなかなか気持ちの整理をつけられないのも事実だった。気持ちの整理がつかないまま、とにかくソールの指示に従い葬儀を執り行い、無事に葬儀は終わった。
  普段はふざけているソールがこの時は頼もしく見えた。葬儀屋という職業上、こういったシーンはよく見慣れているだろうに、それでも大変だったと声をかけてくれることが、バロウズには嬉しかった。
「それに」
  バロウズは続けた。 
「大変なのはこれからだからな」
「……もし相続の手続で不明な点がありましたら、いつでも遠慮なくお呼びつけくださいませ」
「ありがとう」  
 
  メイドに休暇を与えていたため、ソールが去った後の屋敷はバロウズは一人だけになった。一人だけの屋敷は、想像以上に静かで、ここを自分が支えなければならないのだという責任感を改めて肌で感じた。父親が存命だった時から「男爵としてやるべきこと」は移譲されていたが、父親が改めていなくなってみると、今まで感じたことのない重圧があった。
   これから、この重圧と向き合って行かなければならない。いきなり男爵のあれやこれやを引き受けることになったら、耐えられなかっただろう。結果的に、父親がめんどくさがりで良かったなとバロウズは思った。
 
 
  国境騎士団長ダンカンが村に来たというニュースは、瞬く間に ー主にホットなニュースが大好きな郵便局長のサミーとその部下のハイラムのおかげでー 村に広まった。騎士団定例の視察で、特に何か事件があったわけではないのだが、一部の村人は本格的に騎士団がきたという事実に盛り上がっていた。
  その「一部の村人」の1人であるキャロルは、ニルスとテイラーの店でさらに盛り上がっていた。壁に掛けてあった競技用の剣が珍しく、テイラーに尋ねたからである。
「テイラー、フェンシング優勝してるの!?すごい、めっちゃ強いじゃん!!!」
キャロルは驚きと共にテイラーを見た。
「昔の話です」
「でもたまにバロウズとやってて、いつも勝ってるじゃん」
「いつもではありません」
口を挟んだニルスに少し困った顔をしながらテイラーは答えた。
「いつもじゃないってことは、だいたい勝ってるんでしょ?ダンカンにも勝てるんじゃない?」
「勝てません」
  キャロルは蜜蝋と蝋燭の入った籠を机の上に置き、背広にブラシをかけているテイラーに問いかけたが、テイラーは素っ気なく答えて背広にブラシをかけ続けた。
「あのサーベル、騎士団の人達が持ってるのとなんか違うけど、競技用だから?」
「あれはサーベルではありませんよ」
「え、違うの?」
「あれは『エペ』です。競技によって剣が違うんです」
 「…ホントだ。刃が違う」
  キャロルは珍しそうに掛けてあったエペを見た。確かにキャロルの知っているサーベルと違い、斬るための刃が無かった。
「でも、テイラーってそんなにフェンシング強かったんだったら、なんで騎士にならなかったの?」
  麦わら帽子を手に取りながら、キャロルはテイラーに再び尋ねた。
「……言われてみたら、そうだね」
  ふと気づいたという感じで、ニルスがキャロルにうなづいた。ニルスも知らなかったらしい。
「テイラー、なんで騎士団目指さなかったの?
「……目指さなかったわけではありませんよ」
  テイラーはブラシを掛け終えた背広を軽く整えて答えた。
「でも、これで良いんです。私は仕立屋がやりたかったのですから」
「…ふーん」
  全然納得していません、という顔をしてキャロルが答えた。
「ほら、騎士団の候補生って、みんな強いからテイラーも刃が立たなかったんじゃないかな」
「まあそんなところです」
「…ふーん」
  ニルスのフォローに対しても、キャロルは顔を変えずに答えた。
「なんでそんな顔してるの…‥?」
「だって、フェンシング優勝してるんでしょ?騎士団の候補生も強いかもしんないけど、それにしたって、変だよ。なんで仕立屋なんてやってるの?」
「キャロル!」
  ニルスがキャロルに注意した。
「あ…‥ごめん。その、そういうつもりじゃ」
  仕立屋「なんて」という自分の失言に気付いたキャロルは、気まずそうにテイラーに謝った。
「いえ、気にしないでください」
  しばらく沈黙して、テイラーは穏やかな口調で縮こまってるキャロルに答えた。
「……私は、騎士団を目指していました。ですが、思ったんです。自分には向いていないと。私はあまり争うことに向いていないんです。それであれば、私は服をきちんと仕立てて、誰かの役に立った方がずっと良いです」
 
 
  夕方になるともう客は来ない。店を閉めるため、店内の帽子を片付けながらニルスはテイラーに尋ねた。
「そういえば、バロウズとはもうフェンシングしないの?」
「……難しくなるでしょうね」
  少し寂しそうにテイラーが答えた。
 
 
  テイラーがこの村に越してきた頃、バロウズがスーツを仕立てに来た。その際、フェンシングの話で盛り上がり「一度勝負をしよう」と意気投合した。
  初戦、バロウズは1セットも取れなかった。テイラーは久々のフェンシングで腕は鈍っていないか不安だったが、きちんと戦えて良かった、と思った。しかし、この結果がバロウズの闘争心に火をつけてしまったらしい。その後、バロウズは服の修理や小物の買い付けをする時にテイラーに決闘を申し込み、 テイラーはその都度バロウズ邸に出向きフェンシングをする、という生活が続いた。
「バロウズ、いっつもテイラーに勝負を申し込んで来たもんね」
「そうですね。いらしてくれる時に、ネクタイなども買ってくださって」
  いつのまにかバロウズはテイラーとニルスの上客になっていた。フェンシング以外にも認めてくれたように思えてテイラーは嬉しかった。
  その後もフェンシングは続いたが、剣術の先生 ーたまたま村に来ていた剣豪のムサシに指南を受けていると聞いたー に師事して稽古に励むバロウズと、仕立屋の生活に追われつつも新婚生活を楽しんでいるテイラー。たとえスタートラインが離れていても、差が縮まるのは当然だった。次第にバロウズがセットを取る回数が多くなっていった。それでも、テイラーには一日の長があり、まだバロウズがテイラーを上回るまでには至っていない、とバロウズは考えていた。師事と審判を務めてくれていた剣豪のムサシも同じ見解だったことから、バロウズはより一層訓練に励むことになった。
 
 
  テイラーにとって、あくまでフェンシングは趣味の領域の範囲だった。しかしバロウズにとっては、もうただの趣味では無くなっていた。いわゆる「武芸の嗜み」は、家の格を決定するための重要な要素だ。それでも家を継ぐ前は趣味の延長に近い話で許された。だからこそ、バロウズはテイラーにフェンシングを気軽に申し込めたし、テイラーも勝負を受けて立つことができた。
  バロウズの父親が亡くなり、バロウズは後を継ぐことになった。一週間後には戴冠式が控えている。そうなると、バロウズが武芸で勝つこと・負けることはバロウズ家に関わる話になる。もうテイラーと気軽に戦えるような話ではなくなる。勝つならまだしも、負けたら一大事である。
  「まだテイラーの方が強いの?」
  「…いえ、そんなことはありませんよ」
  テイラーは答えた。謙遜ではなかった。試合をすれば、バロウズに勝てる見込みはまだある。しかしその見込は最初に試合をしたときよりもずっと低かった。その「勝てる見込み」が無くなるのは時間の問題だろう。自分は武芸の道を選んだわけではないのだから。
  「…テイラー、聞いていい?」
  「なんでしょうか?」
  「僕、昼間にキャロルを叱っちゃったけど、キャロルの言いたいこと、分かるよ。なんでそんな強かったのに、やめちゃったの?」
  ニルスが店内に飾ってある帽子をまとめながら尋ねた。
  「……争うことに向いていないんです。私は」
  テイラーは帳簿をチェックする手を止めて、ニルスに顔を向けて答えた。
「向いていない?」
「騎士団に必要なのは、武芸だけではありませんでした。学問・団内の政治力・将来を見通す力・諦めない心。どれか一つが欠けていても、大成はしません」
  ニルスは帽子を片付ける手を止めた。 
「もちろん、最初から全てを揃えているような候補生はいません。修練所や実際の団内で鍛えていきます。……ですが、私にはどうしてもできなかった」
「できなかった?」
「……私には、人を率いること、それができませんでした。いくら剣が強くても、それでは騎士団は作れません」
「……」
  ニルスが神妙な顔で軽く頷いたのを見て、テイラーは続けた。
「……人には向き不向きがある。私はそう思います」
「……わかった」
  本当はもっとテイラーの話が聞きたかった。ただ、テイラーの顔を見ていると、何か悲しい思いをして騎士団を諦めたのだろう、とニルスは悟った。そんなテイラーにニルスは根掘り葉掘り聞く気にはなれなかった。けれど、まだニルスはもやもやした気持ちを抱えていた。
「じゃあ」
  ニルスは続けた。
「テイラーは、自分が仕立て屋向いていると思ってる?」
「向いています」
  テイラーに考えさせるために少し意地悪な問いかけをしたつもりだったが、テイラーが即答したので、ニルスは虚を突かれた顔をした。
「少なくとも、誰かと争う必要はありませんから」
「…そんなに争うの嫌なの?」
「嫌ですよ。ニルスは好きなんですか?」
「好きじゃないけどさあ……あれ?」
  ニルスが顔を背けてふとネクタイの置いてある机を見ると、脇に見慣れない籠が置かれているのに気付いた。ニルスは近づき籠を確認した。
「これ、蜜蝋……」
「キャロル、忘れていきましたね…‥」
  テイラーが呆れて言った。
「仕方ありませんね。届けたいところですが……私はバロウズのところに行かなくてはなりません」
「あ、いいよ、預かっておくから、気にしないで」
  テイラーはニルスに礼を言うと、壁かけてあったエペを外した。
「えっ?」
「ニルス」
  テイラーはニルスを向いて言った。
「今日が最後になると思います」
 
 
■ 
  左手にカンテラを持ちながら、テイラーはバロウズ邸へ急いだ。もうすっかり暗くなっていたが、思った以上にカンテラの灯りが明るく、道がいつも以上に見えた。右肩に抱えているエペと防具を感じながら、テイラーはバロウズとの試合を思い出していた。
  テイラーは騎士団のフェンシングを、「相手をねじ伏せるという意志」をいかに飼い慣らすかの勝負だと考えていた。意志が漏れすぎないように、絶えないように静かに構え、相手との間合いを測る。意志を出して突ければ勝ち、意志が漏れていることを悟られ躱されたら突かれて負け。シンプルだが、途方も無い。それが戦いに赴く騎士団なのだ。そう考えていた。
  バロウズとの試合は、それと比べたら楽だった。もともとの経験に加え、相手をねじ伏せるという意志はバロウズには無かったため ー無いわけでは無いけど、騎士団のそれに比べたらずっと少ないと感じたー 、静かに待って倒せば良かった。
  しかし、数ヶ月もすると、「相手をねじ伏せるという意志」が吸収されるかのような感覚を感じることがあった。いくら突こうとしても突けるイメージが湧かない。構えているしかないが、相手も構えたまま。決めあぐねた一瞬の虚をついて、バロウズに突かれる。次第に互角の勝負となっていった。
  今日はどんな勝負になるのだろう。
  いつの間にかテイラーはバロウズとの試合を楽しみにしていた。そして、これが最後になることに気付き、寂しいと感じた。
 
 
  テイラーはバロウズ邸に到着すると、壁掛けの松明の下にあるベルを鳴らした。しばらくすると、扉が開いてバロウズが顔を見せた。
「遅くなりました」
「いや、構わ……ん?」
  怪訝な顔でテイラーの後ろを見るバロウズ。何事かとテイラーが思った刹那、バロウズが声をかけた。
「キャロル?」
「えっ!?」
  テイラーは驚いて振り向いた。少し先に、蜜蝋と蝋燭の入った籠を腕に掛けたキャロルが、小さいカンテラを持ちながら立っていた。
 
 
  フェンシングの闘技場は地下にあった。それほど広いわけではないが、2人が試合をするのには十分な広さだった。キャロルはフィールドの四隅にある燭台に蝋燭を刺し、火を付けた。
「灯りはどう…ですか?」
「十分だな」
「問題ありません」
「見える」 
バロウズとテイラーとムサシが答えた。
(良かった……)
  蝋燭が問題なく付いて、キャロルは安堵のため息をついた。
   キャロルが蜜蝋と蝋燭を忘れたのに気づき、テイラーとニルスの店に慌てて戻ると、テイラーが店から出ていくのが見えた。はっきりとは見えなかったが、右肩に何かを抱えているように見えたのが気になって、キャロルはニルスから籠を受け取るとその足で慌ててテイラーの後を追った。暗い夜道を自分のカンテラと少し先をいくテイラーの灯りだけを頼りに歩くのは不安だったが、好奇心が勝った。
  だから、目的地がバロウズ邸だとわかった時は、しめたと思った。きっとこれからテイラーはフェンシングをするのだ。頼んで見せてもらおう。
  しかし、そう考えた瞬間、昼間のテイラーを思い出し、キャロルは不安に襲われた。テイラーはフェンシングの話題を余りしたがらなかった。そもそもこんな夜間に行くということは、あまりおおっぴらに出来ないからではないか。そこまで考えが至って、キャロルは安易にテイラーの後をつけてしまったことを後悔した。しかし、時過でに遅く、テイラーがバロウズ邸についてしまった。夢中でついてきてしまったが、帰り路も心配だ。
  キャロルは怒られることを覚悟で、バロウズとテイラーにフェンシングを見せて欲しいと頼み込んだ。
 
   バロウズはキャロルを歓迎した。バロウズ邸で水漏れのトラブルが発生して、蝋燭が駄目になってしまっていた。バロウズに蝋燭を売って欲しいと頼まれたキャロルは、
蝋燭代はタダで良いこと、フェンシングをした事は口外しない事を条件に、テイラーとの試合を見せて欲しいと懇願した。
  どのみち、承諾しなければ試合はできなかったので、バロウズはあっさり承諾した。
「助かったな。これで試合ができる。キャロル、ありがとう」
  すでにフェンシングのジャケットを着用したバロウズは、蝋燭の灯りに満足しながらキャロルに礼をした。
「い、いえ、そんな、どういたしまして」
  緊張のあまり、キャロルはかしこまりながらバロウズに礼を言った。
 「こちらも準備できました」
  こちらもジャケットを着用したテイラーがムサシに向って答えた。
「では始めようか」
  ムサシの号令でバロウズとテイラーが、フィールド中央近くの二本のラインにそれぞれ立ち、向かいあった。
「気をつけ。礼」
  2人は互いに礼をする。
「構え」
  マスクをかぶり、それぞれのラインにつま先をつけて構える。
「準備はいいか」
「はい」
  2人が同時に答える。
  いよいよだ。キャロルは両手をぐっと握り2人を見た。
「はじめ!」
 
■ 
  小刻みにステップを踏むテイラーに対して、バロウズは慎重に間合いを測り、時には素早く突いて牽制をした。狙うは、左足。牽制のための突きが引っ込んだ瞬間を狙って一気に踏み込み、突いた。
「一本!」
  ムサシの判定が地下のホール内に響いた。1点を先に取れた。
 
  これでいい。バロウズは何処かに必ず穴ができる、その穴を探して突く。今まで通りの戦い方をすればいい。 
  テイラーはステップを踏みながらも慎重にバロウズの穴を探した。右肩、右足、右手、左手。5点を取った。左手を狙う際にバロウズに突かれ失点してしまったが、それでも5対2ならば、十分だった。
 
 
  5対2となったところで休憩が入った。バロウズとテイラーは水差しからコップに水を注ぎ、飲み干した。ふう、とテイラーとバロウズのついた息の音が、キャロルには大きく聞こえた。その音を聞いてキャロルは喉が渇いている事に気付いたが、2人の勝負の最中と微動だにせず胡座をかいて座っているムサシがいるところで、水を飲む気にはなれなかった。
 
 
■ 
  試合が再開された。
  テイラーのステップは先程と変わらないように見えたが、バロウズの動きが少し違うようにキャロルには見えた。バロウズの動きが明らかに小さくなっていた。牽制するための突きもしなくなった。疲れている、と最初は思ったが、違った。バロウズが一気に踏み込んでテイラーを突く。テイラーがバロウズの突きに対応できていなかった。テイラーがバロウズを突く回数が少なくなっていた。
  (どうしたんだろう……?)
  とうとうバロウズが逆転した。8対7。
  キャロルは急にテイラーが調子を落としたように見えて、心配になった。
 
 
  急に穴が見えなくなった。
  穴が見えた、と思った瞬間、その穴が急に塞がり無くなっていく。テイラーが困惑していると、そのスキをバロウズに突かれた。次第に穴が見えなくなった。穴が見えなくなると、テイラーはバロウズをどう攻略したらいいかわからなくなってしまった。強引にこじ開けようとすると、その瞬間を狙われてしまう。
  攻撃を全て迎え撃とうとしている。
  バロウズの姿勢からテイラーはそう感じた。攻撃を迎え撃とうとするなら、こちらも、と思うものの、間合いが測りにくくなっていた。いつものバロウズとは何かが違っていたが、何が違うかはテイラーにもわからなかった。
  バロウズが視界から消えた。後ろに下がったが間に合わなかった。
「一本!」
ムサシの声が響いた。右のつま先を突かれていた。9対7。あと一点取られたら負ける。
「はじめ!」
お互い構えたままだった。
  どれくらい時間が経ったのか、テイラーにはわからなかった。むしろ、時間が止まってしまったような感覚すら抱いていた。
  バロウズが堂々と対峙していた。動けなかった。
(なんだ…‥?)
  重圧だった。目の前にいるバロウズはいつものバロウズに見えた。しかし、全身からの感覚が普段のバロウズでは無いと告げていた。その感覚は重さとなりテイラーを縛り付けた。動いてはいけない、と感じた。動いた瞬間、突かれる。しかし、バロウズは動く気配が無かった。
  間合いを測るため少しずつ後退してみたが、バロウズはぴったり距離を保って近づいてきた。バロウズは適切な距離を把握している、とテイラーは思った。テイラーは適切な距離がわからなかった。バロウズの適切な距離を外すのが精一杯だった。思い切って後退し、ステップを踏み、突いた。しかしバロウズは軽く弾くだけだった。
  もう、踏み込むしか無かった。だが、バロウズには穴が無い。どこをどうやって穴をこじ開けるか、探った瞬間だった。
  バロウズが動いた。
 
  
「気をつけ。礼」
  ムサシが号令をかけた。バロウズとテイラーはお互い礼をし、近づいて握手をした。
  バロウズに久々に負けた。記憶にある限りでは、今回の勝負も含めて18勝15敗。勝率はまだテイラーの方が高い。
  でも、もうバロウズとフェンシングはできない。ずっと勝率はテイラーの方が高いままだが、これからバロウズと戦っても、勝てる見込みはない。テイラーはそう確信した。
 「参りました」
  テイラーはバロウズに向かって言った。心から参ったと感じた。
「ありがとう」
  バロウズは小さく言うと、テイラーに軽く礼をした。 
「ありがとうございました。……力不足でした」
  テイラーは審判を務めてくれたムサシに、静かに答えた。
「……もうフェンシングはしないのか?」
  えっ、という表情でキャロルはムサシとテイラーを交互に見た。キャロルは困惑してたが、テイラーはムサシの質問にはっきりと答えた。
「はい、私はもうフェンシングはしません」
  笑みを見せながらテイラーはムサシに答えた。
 
 
  すっかり夜も更けていた。遅いから泊まって行きなさいというバロウズの申し出は有難かったが、帰って仕事をしないと間に合わない。固辞してテイラーはキャロルと一緒に帰り路を歩いた。
「テイラー……」
「どうしました?」
「…ごめんなさい」
「どうして急に謝るんですか?」
テイラーが少し困惑しながらキャロルに聞いた。
「後をこっそりつけたりして、ごめんなさい。すごく嫌なことをしちゃった……。それに、テイラーの気持ちを考えないで、試合を見たいとか言い出して」
 キャロルは俯きながら答えた。謝る時はテイラーの顔をちゃんと見て、と思ったが、いざ言葉に出すと強くやましい気持ちに襲われ、テイラーの顔を見ることができなかった。
「そうですね」
  怒っている。キャロルは申し訳無さでいっぱいになった。
「私もキャロルがそんなに本気でフェンシングを見たいとは思っていませんでした。お互い気持ちをわかっていませんでしたね」
キャロルはテイラーの顔を見た。テイラーも俯いていた。
「……テイラー、フェンシングもうやらないの?」
  キャロルは顔を前に戻して尋ねた。
「当分しません。他にやらなければいけないことがあることが、よくわかりましたから」
「やらなきゃいけないこと?」
「服の仕立です」
  テイラーは静かに答えた。
「え、いつもやってるじゃん」
「足りていなかったんですよ」
  意味がわからないと困惑するキャロルにテイラーは続けた。
「バロウズは、男爵になっていたんです。今までと違った。だから勝てませんでした」
「……ごめん、よくわからない」
「キャロルは、蝋燭を作っている時、どんなことを考えていますか?」
「どんなことって……」
  メイソンが教えてくれたロウソク作り。最初はメイソンが喜んでくれたり、部屋が明るくなったりいい匂いがするのが楽しかった。ロウソクを作っている時は、そんな感じだ。
「楽しい……?」
  キャロルは自信なさげに答えた。多分テイラーの求めている答えとは違うのだと思ったが、他に適切な回答が見つからなかった。
「楽しいのは良いことだと思います」
  テイラーは静かに答えた。
「ずっと楽しく続けられていたら、それで良いのだと思います。では、楽しく続けられなかった時はどうしましょう?」
  キャロルは試しに想像してみたが、ロウソクを作ることが楽しくないということが、あまりピンと来なかった。例えば明日までに数百本のロウソクを作らないと怒られるとなったら嫌になると思うけど、現実的にはありえないし、自分が数百本のロウソクを皆が本当に使ってくれるのならとても嬉しいとキャロルは思った。
「……わかんないよ。ロウソク作るのやっぱり楽しいもん」
「なるほど」
  テイラーは感心したように頷いた。なぜテイラーがそんな頷き方をするのかキャロルには見当がつかなかった。
 
「自分がそれほど望んでないことを、引き受けなければならないことがあるんですよ。そういう時にどうするか。自分がそれを望んでいたことにするんです。どうせ引き受けなければならないのなら、自分でそれを望んでたことにして、徹底的に引き受ける」
「自分が考えていないのに?嫌なのに?」
「はい。そういうものだと思ってください」
  キャロルは納得がいかなかったが、ここで飲み込まないとどうしようもなかったので、頷いた。
「あまり大きな声で言わないでほしいんですが、バロウズはそれをやったんです」
「バロウズが?」
「元々バロウズはあまり家のことは考えていませんでした。それがある日から変わったんです。進んでいろんなことを引き受けました」
  バロウズがテイラーにフェンシングを挑んだのも、武芸を磨くきっかけの一つにしたかったのだろうな、と今になってテイラーは思った。
「ずっと楽しんでやる人は強いです。だからキャロルは素晴らしい蝋燭屋になると思いますよ」 
  唐突に褒められてキャロルはびっくりした顔をした。 
「そしてもう一つ、強いのは」
  びっくりした顔をしたキャロルをしっかり見つめ返してテイラーは続けた。
「楽しいことも楽しくないことも、全部きっちり引き受けることを決めた人です」
 
 
 ■
 キャロルを送り届け、テイラーは店に戻った。だいぶ夜も更けてしまったが、まだやらなければいけないことは残っていた。裁断用の机の近くにシルクハットがあった。テイラーはシルクハットの近くにメモ書きがあるのに気付いた。
 
【テイラーへ
    シルクハットはできたよ!我ながらバッチリだと思います。
    明日は仕入れに行くから店にはいないけど、もしバロウズが来たら、試着の対応はお願いします。
 それじゃあ、よろしく!タキシード作り頑張って!
                                                                                                  ニルス】
 
  シルクハットはひと目見ていい出来だとわかった。ニルスもキャロルと同じく、帽子を作るのが楽しくて仕方がないのだろうな、とテイラーは思った。
   テイラーは奥から型紙を取り出した。型紙に触れると先ほどまで勝負をしていたバロウズのことを思い出した。バロウズが着るイメージができた。上質なシルクを入手するのに手間取ってしまっていたため、少し工程が遅れてしまっていたが、ようやく取り戻せる。
  手が汗ばんでいた。自分でも上気しているのがわかった。気持ちを落ち着かせないと荒い裁断をしてしまいそうだが、型紙は、いま一気に仕上げてしまいたかった。
  バロウズは男爵として生きていく覚悟を決めていた。それを即位式で皆にきちんと表現できるようなタキシード。あそびは要らない。シンプルに仕上げればいい。しかし、「シンプルに」というのはハードルが高い。全く誤魔化しが効かない。
  服は仕立屋の胸先三寸で全てが決まる。きっちり着こなせたら着る人間の手柄、決まらなかったら仕立屋の責任。しかし決まらなかったら、泥をかぶるのは服を着ている人間だ。だったら、仕立屋は相応の覚悟を以って臨まなければならない。相手が覚悟を決めた人間なら、なおさらだ。誰かを支えたり助けることは、誰かの影で何かをすることではない。自分も同じくらいの覚悟を決めなければならない、ということだ。テイラーは心からそう思った。
  テイラーは切り終えた型紙を眺めた。
  ここから自分の勝負が始まる。これから始めるのは争いごとではない。だが、覚悟を決めなければいけないことに変わりはなかった。重圧を感じた。きっとバロウズが感じているのは、これとはまた別のもっと強い重圧だ。
 
  バロウズの重圧を引き受ける。
  テイラーは型紙に線を引いた。覚悟が決まれば、あとは一直線だった。


「大丈夫?クロワッサン食べる?」
  パンジーはイスの背もたれに背中をぴったりつけて休んでいるテイラーに声をかけた。戸棚から取り出したクロワッサンを皿にとり、マーマレードジャムの瓶と共にテーブルに置く。
「ありがとう」
  テイラーはパンジーに礼を言うと、背中を背もたれから離してマーマレードジャムを皿によそい、クロワッサンの端をちぎって付けて食べた。
「タキシードは仕上がったの?」
「なんとか。仕上がりました」
「そっか」
  パンジーはコーヒーを淹れたマグカップを机に置いた。
  仕立てが終わったのだから、普通はもっと晴れ晴れとした顔をしている。それなのに、今は複雑な表情を浮かべている。テイラーはその自覚があったし、パンジーがそれに気付かないはずがなかった。余計な気を使わせて申し訳ないとテイラーは思ったが、今は何も言わずにそばにいてくれるパンジーがありがたかった。
  ともあれ仕立は終わった。流石に疲れが溜まっていた。
「パンジー……」
「ん、なに?」
「……コーヒー、もう一杯ください」
「明日が定休日で良かったね」
  テイラーは軽く頷いた。パンジーは空になったテイラーのマグカップを持ち、台所に二杯目のコーヒーを淹れに行った。
  テイラーは帳簿を取りに行った。疲れているが、ベットに入っても寝付ける気がしなかった。それだったら細々した仕事をしていた方がいい。帳簿を机に広げて、バロウズのタキシードのページをチェックしたところで、パンジーがコーヒーを淹れて戻ってきた。
「ありがとう。パンジーはもう寝てて大丈夫ですから」
「ううん、もうちょっと居る」
「…すみません」
  テイラーは礼を言い、コーヒーに砂糖を入れて一口飲んだ。
「この間、バロウズとフェンシングをしたんです」
  テイラーはパンジーの顔を見ずに、ゆっくりと話した。
「途中から全く勝てなくなりました。うまく説明できないんですが……もう勝てない、そう思いました。今思えば、バロウズは覚悟を決めていたのだと思います。男爵としての覚悟を」
「うん」
「バロウズが…急に遠くに行ってしまったように感じたんです」
  別れを泣きたいわけでもないし、かといって壮行を喜ぶほど明るくなれるわけでもない。両方の気持ちがそれぞれあって、どこにも持って行くあてが無かった。テイラーはそういう感情が生じることは知っていたが、そういう時にどうすれば良いかは未だにわからない。ただ、自分が寂しいという感情を抱えているということは、パンジーに話していて気付いた。
「バロウズは、男爵になったんだよ」
「そうですね」
「でも、男爵になれたのはテイラーのおかげだと思うよ」
  パンジーはテイラーに言った。
「フェンシングもやったし、タキシードも作ったんでしょ?テイラーがバロウズを助けたんだよ」
「……はい」
  バロウズの父親が亡くなって大変だったときも、バロウズは仕立屋に足を運んでいた。きっとそれは、即位式に着るためのタキシードの相談や、気晴らしのフェンシングの誘いだけが目的ではなかったのだろう。だからパンジーは、テイラーがバロウズをずっと助けていたと思っている。テイラーが居てくれるだけで、バロウズは良かったのだと。
「即位式。僕は楽しみにしているよ」
「……一緒に見に行ってくれませんか」
「もちろん。タキシードも見たいしね」

  
  テイラーは朝焼けの中、仕立てたタキシードを見つめた。これをバロウズは着て、ニルスのシルクハットを被り即位式に臨む。
  腹が座った。テイラーは重圧を感じたがそれ以上に自信を感じた。自分にあるのは、仕立屋としての覚悟だけではない。ニルスもパンジーも居る。このタキシードは、バロウズのために作ったタキシードだ。バロウズはこれをきっちり着こなしてくれる。
  何の心配も要らなかった。


  即位式が終わったら、男爵の凱旋が始まる。シルクハットとタキシードを着たバロウズを見るチャンスはそこだった。
「早く早く!」
「随分気合入ってるなあ」
「パレードが始まるから!急いで!」
  バロウズの即位を祝福するかのように、雲一つない青空が広がっていた。のんびりとしたニルスと対象的に、キャロルは早く来てと急かすようにテイラー達を呼んだ。
「馬車は逃げないよ」
「でも、みんな来るから見えなくなっちゃうよ」
パンジーが諭すも、キャロルは自分の身長では人混みに埋もれてしまうことを心配していたため前の方を確保したがっていた。
「そりゃパンジーはテイラーに肩車してもらえばいいけどさあ」
「しないよ!」
パンジーがキャロルに突っ込む。
「おや、しないんですか?」
「テイラー!」
パンジーがテイラーに突っ込む。そんな中、ポンポンと砲の音がした。
「あ、始まる!」
  しばらくすると、前方で歓声が上がった。バロウズの馬車が来たのだろう。ニルスも、パンジーも、テイラーも、キャロルも、バロウズの晴れ姿が楽しみだった。
  4人は胸を踊らせながら馬車が来るのを待った。